得するのだ。奈良朝頃の文献の中で、かうした形を発見するのは、多く序歌の場合である。つまり、気分的に解説すれば、ある契機となる語を中心として、二つの観念の転換が緊密に行はれてゐる。其為に文章又は句としては、不自然な処が生じるのだと言ふことになる。だが、さうした技巧も、元は技巧としてはじまつたのではない。唯古い表現法に準じてゐたのだ。さう言ふ点に、後代の文法意識が働くと、前句と後句との間に、緩衝的な語を挿入することを考へて来る。謂はゞ「ところの」と言ふ程の意識を含めるのである。二つの句の間にと言ふよりも、前句を後句から隔離し、半独立の姿を保たしめるのである。
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……あだねつき染め木が汁に染《シ》め 衣を……([#ここから割り注]シムルトコロノ衣シメタル衣[#ここで割り注終わり])
上つ毛野いかほの沼に栽ゑ 小水葱……([#ここから割り注]ウヽルトコロノ小水葱ウヱタル小水葱[#ここで割り注終わり])
[#ここで字下げ終わり]
右の例における接続点は、前代の文法及び、其形式を襲ふものでは問題にならないが、やはり次第に、整頓せられて来る。仮りに序歌を以て説くと、
[#ここか
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