妹」「はしき其[#「其」に傍線]君」とでも、言へるところである。尤、「其」と言ふ語は、便宜上挿入したゞけで、決して、「し」などに「其《ソノ》」の義があるとは考へてはゐないのだ。
かうして考へて来ると、我々の所謂連体形なるものは、存外文法的に有機的なものでなかつたに違ひない。単綴語における、接近した二つの語とおなじ関係に似たものがあつたらしいのである。にも繋らず、かうした明らかな、屈折以上の連結のあるものがある。
「石見のや……高角山」「みなとのや……芦が中なる」「淡海のや……鏡の山」に於いても、同様なことが言へる。此「や」は声楽上の気分には、内容があつても、論理的の意義はない。又更に、「伊加奈留夜人にいませか(仏足石歌)」「如何有哉《イカナルヤ》人の子ゆゑぞ(万葉巻十三)」「天なるや弟たなばた」の場合も、疑ひもなく、「や」は文法上の職能を示して居ない。所謂感動の「や」或は「棄てや[#「や」に傍線]」と称せられてゐるものは、一種の囃し詞と見られる理由もある程、詞の意味を持つてゐない様に思はれる。殊に、俳諧の切れ字として見る時は、明らかに、此辞によつて、意義が中断せられ、そこに一種の情調を
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