く[#「牀の如く」に傍線]とも訳すれば、さうも出来る訣である。一体「男」は、「をとこ」と読むか「をのこ」と読むか訣らないものと見られてゐるが、万葉巻二の二つの用例から見れば、明らかに「烏徳」としたらしく思はれるから、「をとこ」と読んでよからう。だが、古典は古典その者の中において又、特殊の擬古的態度があり、其から来る所の大きな誤解さへも加はるのだから、幾分は「をのこじもの」と謂つてもよいといふ余裕は残して置く方が、国語発達史上却つて正しい見方、と言へるのだ。
私の話が、少し長びいたので、今一度前からの考へを、印象的に要約して置く必要がある。形容詞語尾殊に、重要な終止語尾の、独立或は固定の妥当的な感覚を導いた過程についての考へである。第一、「し」を含んだ語根時代。第二、領格としての用語例に入つた「し」の時代。第三、領格の対象語の脱落した時代。第四、語尾としての「し」の独立時代、と謂つた仮りの区劃[#「仮りの区劃」に傍点]を立てゝゐるのだが、今の私にとつては、第一期について、最大きな疑問が起つて来てゐる。其で、結局、第二・第三の時代を中心にして論じて来た訣であつた。さうして、其点において可なり必要な件をまだ後廻しにしてゐる。
所謂一類の枕詞の語尾と考へられて来てゐる、「じもの」と言ふ形である。此亦既に述べた「じ(否定)何」「らし何」と同じ発生を有するものである。尚言へば、すべての形容詞語尾は、「しもの」の過程を含んで来たもの、と考へられさへするのであつた。さうして、仮りに様々な「し何」の形を綜合すると、「しもの」と言ふ形に帰一するのは明らかだ。
若《もし》、形式論をつきつめて行くとすれば、「あなにやし えをとこ」「やすみしゝ 大君」などの古い例さへ、「あなにや えをとこ」「やすみし 大君」から更に、領格的用語例の意識を、生じずに居る訣はない。「あなにやの えをとこ」「やすみしの 大君」と言ふ意識を含んでゐない、と誰が言へよう。一方更に進んでは、「や」「ら」「か」「な」などが、すべて体言化する語尾の用をなす如く、こゝにも「……なる物……」「……物……」と謂つた感覚を以て受け入れたと考へられなからうか。
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わが待つもの [#「 」に「ナル」の注記]鴫はさやらず、いすくはし [#「 」に「モノ」の注記]くちらさやる
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