だが、後には、神と鬼との両方面を、鬼がつとめることになつて行つた。鬼が相手方に移つて行つたのである。田楽では、鬼と天狗とを扱うてゐる。一体、田楽は宿命的に、天狗と鬼とを結合させてゐる。此は演劇の発足を示すもので、初めはして[#「して」に傍線]が鬼、わき[#「わき」に傍線]がもどき[#「もどき」に傍線]であつた。
村々の大切な儀式に鬼が参加することは、今も、処々に残つてゐる重大なことである。壱岐の島へ行くと、おにや[#「おにや」に傍線]と言ふものがあるが、此は古墳に相違ない。此処には昔、鬼が棲んだと言はれてゐる。対馬へ行くと、やぼさ[#「やぼさ」に傍線]と言ふ場所が神聖視せられてゐる。初春には、殊に大切に取り扱はねばならぬ。此処には、祖先の最古い人が住んでゐると考へられ、非常に恐れられてゐる。
昔は、海辺の洞穴に死人を葬つたが、後には其処を神の通ひ場所と考へる様になつた。沖縄の石垣《イシガキ》島の宮良《メイラ》村では、なびんづう[#「なびんづう」に傍線]の鬼屋《オニヤ》に十三年目毎に這入つて行つて、若衆入りの儀式を挙げる。恐るべき鬼は、時には、親しい懐しい心持ちの鬼でもある。仏教で言ふ鬼
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