信州下伊那郡|新野《ニヒノ》では、正月十三日か十四日に、門松と一緒に立てかけておいたにうぎ[#「にうぎ」に傍線]を、をがみ場所に配つて歩く。此をおにき[#「おにき」に傍線]と言ふ。其頃はちようど、歳神を送る日に当るが、其日には鬼が来ると称し、針為事を控へる。此処では歳神は鬼と似た性質を持つてゐて、やはり、眷属を連れて来る。
此と同様な事は、盆にもする。盆棚は事実、歳神の棚と同じ意味でする地方がある。精霊・わき[#「わき」に傍線]・とも[#「とも」に傍線]と、それ/″\区別して、棚を拵へることもする。盆の変つた行事としては、生御霊の行事がある。其は、大きな家の子方に当る人々は、盆の間に其親方の家に挨拶に行く。大きな鯖《サバ》を携へて行き、親方の為におめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]を述べるのである。
此式は室町頃から続いたことで、田舎から京へ出たのだらうと思ふ。正月に朝覲行幸をせられるのも、実は此生御霊と同様な行事である。此信仰はすべて、吾々は生御霊を持つてゐるといふ考へから出たもので、吾々の身体から生御霊は離れよう/\とし、或は外物に誘はれて、出よう/\としてゐるのを、抑へなくてはならない。子方は親方の生御霊を抑へに行くのであり、祝福しに行くのである。今に用ゐる正月の「おめでたう」といふ挨拶は、其祝福の詞の固定したものである。其にしても、何故|鯖《サバ》を携へて行くのかは、訣らない。一体、神に捧げる食物と、精霊に捧げる食物とは異つてゐて、精霊に捧げるのを産飯《サバ》と言ふが、其語が鯖に考へられたのではなからうか。後期王朝には、生御霊と死御霊と二つあつた。死御霊は常に、生御霊を誘ひ出さうとする。
琉球の石垣島の盆の祭りには、沢山の精霊が出て来た。即、おしまひ[#「おしまひ」に傍線](爺)・あつぱあ[#「あつぱあ」に傍線](婆)が多くの眷属をひきつれて現れ、家々を廻つて、祝福をして歩く。此群をあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]と言ひ、大倭から来るものと考へてゐるが、其は海の彼方の理想郷からであらう。
春の初めの清明節には、まやの神[#「まやの神」に傍線]と言ふ神が現れる。此は台湾の蕃人も持つてゐる信仰である。まや[#「まや」に傍線]は即まやの国[#「まやの国」に傍線]から来る神で、簑笠で顔を裹《つつ》んで来て、やはり、家々を祝福して廻る。宮良《メイラ》村には、
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