も特定された井に湧くのである。其水を用ゐて沐浴すると、人はすべて始めに戻るのである。此を古語で変若《ヲツ》と云ふ。其水を又|変若水《ヲチミヅ》と称する。貴人誕生に壬生の汲んでとりあげる水は、即、常世の変若水《ヲチミヅ》であつたのだ。中世以後、由来不明ながら、年中行事に若水の式が知られてゐる。此は古代には、特定の井に常世の水が湧き、其を汲んで飲み、禊ぐと若返るものと考へてゐた為の名である。
皇子御誕生にあたつては、たゞの方々と皇太子との間に、区別のありやうはなかつた。御誕生後、後代の日嗣御子がお定まりになつて、其中から次の代の主上がお定まりになつたのである。出現せられた貴種の御子の中、聖なる素質のある方が、数人日つぎのみ子[#「日つぎのみ子」に傍線]と称へられた。此は正確には皇太子に当らぬ。飛鳥・藤原の宮の頃から、皇子・日つぎのみ子[#「日つぎのみ子」に傍線]の外に皇子《ミコ》[#(ノ)]尊《ミコト》と言ふ皇太子の資格を示す語が出来たらしい。だが、もつと古代には日つぎのみ子[#「日つぎのみ子」に傍線]の中から一柱が日のみ子[#「日のみ子」に傍線]として、みあれ[#「みあれ」に傍線]せられたのであつた。其間の物忌みが厳重であつた。此が所謂|真床襲衾《マドコオフスマ》を引き被《カヾフ》つて居られる時である。此物忌みに堪へなかつた方々に、幾柱かの廃太子がある。
万古不変の大倭根子天皇の御資格は、不死・不滅であつて、崩御は聖なる御資格から申せば、一種の中休みに過ぎないので、片方には中の一寝入りから目覚めたといふ形で、日つぎのみ子[#「日つぎのみ子」に傍線]が、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]としてみあれ[#「みあれ」に傍線]をせられる。即、長い物忌みの後に、斎川水を浴びて、こゝに次の天皇として出現せられるのである。だから、常世の変若水は、禊ぎの水であり、産湯でもあり、同時に甦生の水にも役立つたのである。其重大なる儀式の一種であるみぶ[#「みぶ」に傍線]を奉仕したのが、後世由来不明となつた、節折《ヨヲ》りに奉仕する中臣女[#「中臣女」に白丸傍点]の起原である。
みあれひく[#「みあれひく」に傍点]賀茂の社の祭りも、此信仰から出てゐる。稚雷の神の出現の日に、毎年賀茂川を斎川として、稚雷神の用ゐ始めた後、諸人此水に浴したのがみあれまつり[#「みあれまつり」に傍線]の本義である。だから、平安朝以後、賀茂の磧が禊ぎの瀬と定つた。御禊《ゴケイ》は元より、御霊会《ゴリヤウヱ》の祓除「夏越《ナゴ》し祓へ」の本処として、陰陽師の本拠の様な姿をとつたのである。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「国学院雑誌 第三十三巻第十号」
   1927(昭和2)年10月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年十月「国学院雑誌」第三十三巻第十号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
入力:小林繁雄
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
2004年1月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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