女の誕生が、それであつて、此みあれ[#「みあれ」に傍線]があつたのち、更にみあれ[#「みあれ」に傍線]があることが、即、帝位に即かれる意味に外ならないのである。つまり、天子になられる貴人には、二回のみあれ[#「みあれ」に傍線]が必要であるといふ事になる。
日本の古い時代の御産の形式をみると、水と火との二つの方式がある。其古い形式の一部は、今もなほ沖縄の伝承に残つてゐる。神代紀のこのはなさくやひめの命[#「このはなさくやひめの命」に傍線]、垂仁紀の狭穂姫《サホヒメ》皇后の産事は、それ/″\火の形式によるものであり、いま一つの水の形式になると、後世の御産の典型的になつてゐる。とよたまひめの命[#「とよたまひめの命」に傍線]がうがやふきあへずの尊[#「うがやふきあへずの尊」に傍線]を御産みになつた場合、或は反正天皇のみあれ[#「みあれ」に傍線]の際に於ける形が、水辺或は水の御産の形式として、顕著な例である。此側から考へると、垂仁紀のほむちわけの命[#「ほむちわけの命」に傍線]は、火産・水産の調和したものである。出雲風土記のあぢすきたかひこの命[#「あぢすきたかひこの命」に傍線]の伝説は、皇族以外にも貴種誕生には、同様の様式が考へられたことを示してゐるのだらう。就中、奈良朝以前の宮廷の御産の形式の原形は、次に述べる反正天皇のみあれ[#「みあれ」に傍線]の際の伝説より来《きた》つてゐる。
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瑞歯別天皇。去来穂別[#(ノ)]天皇[#(ノ)]同母弟也。去来穂別天皇二年。立為[#二]皇太子[#一]。天皇初生[#二]于淡路宮[#一]。生而歯如[#二]一骨[#一]。容姿美麗。於[#レ]是有[#レ]井。曰[#二]瑞井[#一]。則汲[#レ]之洗[#二]太子[#一]。時多遅花落在[#二]于井中[#一]。因為[#二]太子名[#一]也。多遅花者今虎杖花也。故称謂[#二]多遅比[#(ノ)]瑞歯別天皇[#一]。
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右の日本紀の本文によると、産湯の井の中に、虎杖《イタドリ》の花が散り込んだので、多遅比《タヂヒ》といひ、歯がいかにも瑞々《ミヅ/\》しい若皇子であるから、瑞歯別と称へた事になつてゐる。だが、元来、多遅比の事に就ては、日本紀の伝へが、いさゝか矛盾してゐる。恐らく多遅比の名称は、若皇子を御養育した多遅比氏(丹比《タヂヒ》氏)の名称であつて、つまり、
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