ひな」に傍線]型であると前に言うたが、茲に於ても、其をもう一度言ひたい。ひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家は、ひゝな[#「ひゝな」に傍線]の宮・寺であると共に、ひゝな[#「ひゝな」に傍線]によつて祝福せられ、或は代表せらるべき人の家のひな[#「ひな」に傍線]型である。溯つて考へれば、ひゝな[#「ひゝな」に傍線]の一つの容《イ》れ物《モノ》であつた。謂はゞほかゐ[#「ほかゐ」に傍線]の様なものから次第に発達して、遂に内裏《ダイリ》の様な形にまで、変つて来たのだと思ふ。
此おひら[#「おひら」に傍線]様の片一方だけについての記録が、更級日記の初めに見えて居るをみな[#「をみな」に傍線]神である。名前から見ても、男神に対して居る人形である事が、想像出来る。此人形が、時としては一対になり、時としては単独で、家庭に祀られて、或は恐れられ、或は馴じまれて居つた。さうして、追ひ/\に此から、玩びの人形と言ふ意味をも、分化して来たのである。
単に人形の歴史だけについて言ふも、従来考へて居つた様に、単純には解決の出来ない、幾つもの要素がある。私の只今の考へに、最近い説を仮りに言ふとしたら、ひな[#「ひな」に傍線]はひな[#「ひな」に傍線]型のひな[#「ひな」に傍線]で、ひな[#「ひな」に傍線]型と称する言葉は、現行のもの以前に、もつと適切な用語例を、持つて居たのではないだらうか。さう考へて見ると、人形《ヒトガタ》と言ふ言葉と内容とが、全く同じ事になるのである。此人形が、お迎へ人形となり、其が主神に合体して、神の形代《カタシロ》とも考へられる様になり、更に下つては、後の人形芝居を生む事にもなつたのである。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗芸術 第二巻第四号」
1929(昭和4)年4月
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年四月「民俗芸術」第二巻第四号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※小見出しの3字下げ(「四 くゞつ[#「くゞつ」に傍線]と人形との関係」「六 虫送り人形」「一二 念仏聖と人形舞はしと」)は、5字下げにそろえました。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年4月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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