」に傍線]生活をする風習のあつた事は前に述べたが、重陽を後の雛と言ひ、七夕にも、此を祀る地方がある事、又、今も北九州に行はれる、八朔の姫御前《ヒメゴジヨ》などから考へれば、此季節に、やはり神を迎へ、神送りをした風習のあつた事は、いよ/\確かだと言へる。
神を迎へるのと、祓除をするのとは、形は違ふけれども、悪気を避ける為と言ふ事では、一つであつた。つまり、迎へた神を送る為の、神の形代流しと、祓除の穢禍を背負うた形代流しとが、結びついて出来たのが、雛祭りである。さうして、一家の模型を意味したひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家を作つて、それに穢れを移して流したのが、古い形であつたのだが、いつかこの雛に、金をかける様になつて、流さぬ様になつたのだと思ふ。先、此だけの順序を考へて置く。
一一 箱の中の人形
雛祭りに関聯して、是非考へて置きたいものは、ちぎびつ[#「ちぎびつ」に傍線]である。今でも雛壇には、此が持ち出されるが、昔は、此に雛祭りの調理を詰めて、育てゝくれた乳母などへ、くばりものをした。何故此が、雛祭りに持ち出されるのか、其には理由があると思ふ。
一つの想像は、此ちぎびつ[
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