居る。ひゝな[#「ひゝな」に傍線]のやかた[#「やかた」に傍線]と言うたのは後で、以前はひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家と言うたらしい。
ひな[#「ひな」に傍線]の語原については、まだはつきりしたものを掴んで居ないが、此だけのことは言へさうだ。ひゝな[#「ひゝな」に傍線]と言うたのは、長音符を発明しなかつた時代に、長音を表すのに同音を重ねた――帚ははゝき[#「はゝき」に傍線]・蕗をふゝき[#「ふゝき」に傍線]と言うた様に――のではなかつたか。ひな[#「ひな」に傍線]はひな型[#「ひな型」に傍点]の意で、一家・主人の生活のひな型[#「ひな型」に傍点]ではなかつたらうか。
そして此を河に流したのは、上巳が祓除《ミソギハラヒ》の日であつた事に結びついたのだと思ふ。即、一家のひな型[#「ひな型」に傍点]を作つて、其に穢れを背負はして流す、と考へたのである。尚其には、神を送ると言ふ思想も混合した。つまり、穢れを流すと言ふ事と、神を送ると言ふ事とが、くつゝいたのである。
従来の学者の説明では、此穢れを移して、水に流すはずの紙人形が流されないで、子供・女の玩《モチアソ》び物になつたのが雛祭りの雛だ、
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