い、紀州に於ける一種の日の神である。即、宣伝者が、神明以外に、他の眷属を持つて歩いた。
的確な例は、浅草の三社権現である。三社とは、浅草観音の本地たる熊野神明に、其眷属とも言ふべき三つの神が附属した事で、日前《ヒノクマ》神宮と関係のある、三体の神だつたのである。其が後には、浅草観音を探り出した三人の兄弟と言ふ風に、説話化されたのである。
おひら[#「おひら」に傍線]様なるものも、熊野神明其ものではなく、神明の一つの眷属で、神明信仰を宣伝して歩く巫女に、直接関係を持つた精霊――神明側から言うて――であつたと思はれる。神明の外に、神明のつかはしめ[#「つかはしめ」に傍線]とも言ふべきものがあつた。それがおひら[#「おひら」に傍線]神であつたのだ。
おひら[#「おひら」に傍線]様と言ふ言葉については、古くから、私はひな[#「ひな」に傍線]の音韻変化だと考へて居た。たゞ、何故かうした桑の木でこしらへた人形にまで、ひな[#「ひな」に傍線]と言ふ名を負はせたか。その点になると、ひな[#「ひな」に傍線]の語原について、訣つて居ない我々には、説明のしようがない。併し、尠くとも、この人形には、足は勿論手もないが、其を巫女が遊ばせる――舞はせる――ことが、一つの条件であつたとだけは、考へる事が出来る。この点からならば、尠くも、一つの論が、進められない事もない。にこらい・ねふすきい[#「にこらい・ねふすきい」に傍線]氏が、磐城平で採集して来られたおひら[#「おひら」に傍線]様の祭文と称するものを見ると、此は或時代に、上方地方で、やゝ完全な形に成立した、簡単な戯曲が、人形の遊びの条件として行はれて居た事が察せられる。即、これはおひら[#「おひら」に傍線]様の前世の物語で、本地物語とも言ふべきものが、随伴して居つた訣である。
一四 おひら[#「おひら」に傍線]様と大宮の※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]祭りと
今日、おひら[#「おひら」に傍線]様の分布は、必しも東北ばかりでない。十数年以来採訪せられた材料から見ると、曾ては都方から東へ向けて、神明信仰に附随した伴神の信仰の、宣伝せられた跡が窺はれる。だが、おひら[#「おひら」に傍線]様が注意に上つた時代に於いては、既に巫女が箱に入れて歩く風習を失うて了うて居た。だから此を、人形芝居の旅興行の形に関聯して考へる事は、困難な事
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