考へられる。さうした人形の遣はれる箱が堂であり、宮である意味のてら[#「てら」に傍線]である。
私は、此事実から、我国に於ても、宮・寺の奴隷など、各種の宗教家が、各地に自分々々の宗教を宣伝して歩いたと同時に、小さな人形を箱の中に入れて踊らしたと言ふ事を考へて見る。問題は、箱の中から手を出したか、箱の中で踊らしたかである。書物の上では、箱の中から手を出して、其が発達した様に見えて居るけれども、此|行者《アンニヤ》の持つて居るものを見ても想像出来る様に、箱の中が、即宗教の世界であつたのだから、其中で踊らした、と言ふ事だつてなかつた、とは言はれまいと思ふ。昔の浄瑠璃説教の人形芝居でも、手摺《テスリ》を主として居るばかりではない。水ひき幕が其上にある。この水ひき幕と手摺《テスリ》との空間が、人形の世界で、即、箱の面影を止めたものなのであらう。水ひき幕の書いてないものもあるが、其は、本式ではない様である。
かうした人形遣ひが、国中を廻つて、宗教味の浅い、教訓味を持つた歌を歌ひながら、人形を舞はしたものらしい。何と言つても、文献だけでは、頼みにならない。我々が、民間伝承の採訪に努力する所以である。
一三 おひら[#「おひら」に傍線]様と熊野神明の巫女
人形を神霊として運ぶ箱の話では、更にもう一つのものに就いて、述べて置きたい。恐らく本論文集では、皆さんの興味の中心になつて居ると思ふが、それは奥州のおしら[#「おしら」に傍線]神である。金田一京助先生の論文で拝見すると、おしら[#「おしら」に傍線]はおひら[#「おひら」に傍線]と言ふのが正しい。おしら[#「おしら」に傍線]と言ふのは、方言を其まゝ写したのだ、と説かれてゐる。この所謂おひら[#「おひら」に傍線]様は、いつ奥州へ行つたものか、此は恐らく、誰れにも断言の出来る事ではないと思ふが、少くとも、此だけの事は言へさうだ。元来、東国にかう言ふ形式のものがあつたか、其とも古い時代に、上方地方から行つた旧信仰が止まつたか、或は其二つの融合したものか、結局此だけに落ちつく様である。
私は、其考へのどれにでも、多少の返答を持つてゐる。先、誰にでも這入り易いと思ふ事から言うて見ると、おひら[#「おひら」に傍線]様と言ふ物は、熊野神明の巫女《ミコ》が持つて歩いた一種の、神体であつたらうと思ふ。熊野神明と言ふのは、伊勢皇大神宮でな
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