常の形でなく、魂魄とからだとが融合するまでに回復するのに手間どつてゐる点、おなじ説経正本の「愛護若《アイゴノワカ》」でも、愛護若の亡き母が娑婆へ来るのに、骸が残つて居ないので、鼬のむくろを仮りて来る段がある。此他人の骸を仮る点の脱落したらしいのが、小栗の蘇生を複雑に考へさせる。私は小栗説経の古い形は、此であつたのであらうとは思ふが、姑らく正本に従うて説明して行かう。
四五年前にも一度、小栗判官伝説の解説を書かうとして、柳田先生に餓鬼つき[#「餓鬼つき」に傍線]の材料を頂いた事があつて、企ては其まゝになつて居た。前号に先生のお書きになつた「ひだる神の話」を見て、今一度稿を起して見る気になつた。
私自身も実は、たに[#「たに」に傍線](た清音)に憑かれたのではないかと思ふ経験がある。大台个原の東南、宮川の上流加茂助谷での事である。米の字を手の平へ書けば、何でもなかつたのにと、後で木樵りから教へられた。
「ひだる神の話」に先生は、名義に就て二つの暗示を含めて置かれた様に思ふ。一つはだる[#「だる」に傍線]がひだる[#「ひだる」に傍線]から出てゐると言ふ考へ、今一つは、だに[#「だに」に傍線]
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