後世から此を辿るに、其習慣が、殆ど無くなつて居るから訣らないけれど、常世は、生命の長く、此地と暦を別にして居る処である。常世の木の実は、何時までも落ちないものと考へてゐた。出石人が、貴種の葬られた墓所に、魂を喚び醒す為に樹てたものであらう。かう考へれば、たぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]の話も、浦島の型のみではなく、招魂の呪ひがあり、同時に橘が長寿を祝福する意味を持つた木である事が、想像出来るのである。
荻《ヲギ》も亦信仰に関係がある。万葉集の東歌に
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妹《イモ》なろがつかふ川内《カハツ》のさゝら荻《ヲギ》。あしと一言《ヒトコト》語りよらしも(巻十四)
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と云ふのがある。吾妹子が、誓ひに用ゐる川口の小さな荻の類だから、あし[#「あし」に傍線]と一言、告げがあればよいと言ふのである。さゝら荻は序歌であるが、同時に、また内容になつて居る。荻が神の告げを語る信仰があつての上に使はれた序なのである。
日本の信仰上の現象を見ると、秋になつてそよ/\と戦ぐ荻が、何となく目について居る様だ。秋の草のそよ/\と揺れる事をそゝ[#「そゝ」に傍線]・そゝや[#「そゝや」に傍線]等と言ふ語であらはして居る。そゝ[#「そゝ」に傍線]・そゝや[#「そゝや」に傍線]は、神の告げを表す語であるから、荻や萩には此聯想があつたものと思はれる。そしる[#「そしる」に傍線]と言ふことも、神の告げである。をぎ[#「をぎ」に傍線]と言ふ名は、霊魂を招き寄せる意味である。をぎ[#「をぎ」に傍線]・をぐ[#「をぐ」に傍線]とは、霊魂を呼び醒す場合にも用ゐた。だから荻にも何か信仰上の関係があつたのである。
神楽の中に「韓神」と言ふ舞があつて、韓神が枯れた荻の葉を持つて、舞うた事が、平安朝の文献に見えて居る。韓神は韓風の祭りに使つたものであらうが、荻に神霊を招来する信仰があつたものと思はれる。此等にもとうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の俤が見えて居る。

     七

つくり花[#「つくり花」に傍線]と言ふのは沢山ある。其中一番古くからあつて、一番長く伝はつて居るのは、削《ケヅ》り掛けである。柳などの木を削つて、ひげ[#「ひげ」に傍線]を沢山出してある。此を削《ケヅ》り掛け、或は削《ケヅ》り花と言ふ。此があいぬ[#「あいぬ」に傍線]の信仰に這入つて、いなう[#「いなう」に傍線]と言ふものになつて居る。此は、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]在来のものでなく、日本の稲穂の信仰様式があいぬ[#「あいぬ」に傍線]へ這入つたものであらう。いなう[#「いなう」に傍線]は、日本の御幣の如きものであるが、御幣ではない。甲州ではあぼ[#「あぼ」に傍線]・へぼ[#「へぼ」に傍線]と言ふが、粟穂・稗穂等と言ふ意味であらう。削りぐあひで、色々あるのだ。稲穂は其一種である。此があいぬ[#「あいぬ」に傍線]へ這入つて行つたのは、近代の事ではない。
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筑波嶺に雪かも降らる。否諾《イナヲ》かも。愛《カナ》しき児等《コロ》が布《ニヌ》乾《ホ》さるかも(巻十四)
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といふ歌が、万葉集の東歌の中にある。あいぬ[#「あいぬ」に傍線]の木幣《イナウ》を知つて居る学者は、木幣《イナウ》と信じて、此歌をもつて、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]が此附近に住んで居た証とするが、此は勿論さうではない。
削り花は早くからある。古今集巻十の「物名《モノヽナ》」の籠め題に「二条后の東宮の御やすん所と申しける時に、めど[#「めど」に傍線]にけづり花[#「けづり花」に傍線]させりけるを詠ませたまひける」と言ふ詞書があつて、
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花の木にあらざらめども 咲きにけり。ふりにし木の実なる時もがな(文屋康秀)
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とある。めど[#「めど」に傍線]は馬道で、廊下の暗い処に削り花の掛つて居たのを詠んだものである。此頃には既に、削り掛けの出所を疑ひ、後には合理化して、花の形だとして居る。何故花の如きものを作つたかと言ふに、祝福の形なのである。此以前に、も一つ先の形があつたと思ふ。其は、山人が突いて来た杖の先のさゝけ[#「さゝけ」に傍点]たものが、花の徴《シルシ》になつたものであらう。卯杖と言ふ杖は、土地をつゝき廻ると、先の方がさゝけ、根は土の中で著く。此さゝけ[#「さゝけ」に傍線]が花の徴《シルシ》になり、そして、最初の形であると思ふ。竹ですればさゝら[#「さゝら」に傍線]になる。簓《サヽラ》も一種の占ひの花であつた。葬式等には髯籠《ヒゲコ》を作る。此先のさゝけ[#「さゝけ」に傍線]が肝腎である。其さゝけ[#「さゝけ」に傍線]の分れ方で、一種の占ひになつたものと思ふ。
此話と関聯して、言はなければならないのは、万葉集の東歌や防人歌などを見ると、はやし[#「はやし」に傍線]と言ふ語が沢山に出て来る事である。
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麁玉《アラタマ》の伎倍《キベ》のはやし[#「はやし」に傍線]に名を立てゝ、行き敢《カ》つましゞ。寝《イ》を先立《サキダ》たに
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此歌は難解の歌である。「麁玉《アラタマ》の伎倍《キベ》のはやし[#「はやし」に傍線]」と言ふのは、麁玉《アラタマ》郡の伎倍《キベ》のはやし[#「はやし」に傍線](林)と言ふのかも訣らぬ。併し、私は、麁玉郡に伎倍《キベ》があるのではなく、遠江に同名の地があるから、此を聯想したものであらうと思ふ。村境に建てる柵が「き」である。そこへ、旅に行く人と別れる時、切りはなした木を樹てゝ、其魂を留めて置く。柵辺《キベ》にはやし[#「はやし」に傍線]た木を樹てるのである。此木を樹てると、魂が留まると信じて居たのであらう。其が「伎倍《キベ》のはやし[#「はやし」に傍線]」であると思ふ。「寝《イ》を先だゝに」は、そんな所ではやし[#「はやし」に傍線]の行事をして居ないで、早く村へ入つて了へ。お前を立たせて置いては、私が先へ行きかねまい、と言ふのである。
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上《カミ》つ毛野《ケヌ》 佐野《サヌ》のくゝたち[#「くゝたち」に傍線]折りはやし[#「はやし」に傍線]、吾《ワレ》は待《マ》たむゑ。今年|来《コ》ずとも
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くゝたち[#「くゝたち」に傍線](植物の名か)を折りはなして来て、何のたよりがなくとも、私は待つて居りませうと言ふのである。此はやす[#「はやす」に傍線]といふ所に、一種の霊魂を移す信仰があつたのである。
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松《マツ》の木《ケ》のなみたる見れば、家人《イハビト》の 我《ワレ》を見送ると、立たりしもころ
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なむ[#「なむ」に傍線](なみ)は撓《シナ》えて居る事、なびく[#「なびく」に傍線]と同じで、ぐにやり[#「ぐにやり」に傍点]として居る事である。「もころ」は占ひの詞である。卦と言葉とぴつたり合ふ正占の事で、二つのものがぴつたり合ふ事がもころ[#「もころ」に傍線]である。もころ[#「もころ」に傍線]は、元は、占ひの語に相違ない。
我を見送る[#「我を見送る」に傍線]と言ふ事も、今の見送るではない。後に残つて居て、私を護つて居ると言ふ意味である。遠くから、其人に災のない様に、気をつけて居る事が見送るである。「立たりし」は「立てりし」と同じことである。家人が此松と同様にぐにやり[#「ぐにやり」に傍点]として、私に災がない様に、と見守つて立つて居るのが、眼にあざやかに浮ぶと言ふ位の意である。
後世東国では、家人の誰かゞ遠く旅をして居る家では、家の前に祠を建てゝ、其人の帰る迄置いた。近世の伊勢参りの如きも此形である。魂を留める為に、家の門に木を切つて立てゝ置いた。此動作がはやす[#「はやす」に傍線]である。かうして解くと、万葉集の中で、今日まで解けなかつた歌が、大分解けて来る。
この様に、木の花を以て祝福したり、将来の事を占つて見たり、魂ふり[#「魂ふり」に傍点]をする習慣が沢山あるのである。これで、私は、四季の花を中心として、神事に関係ある花の事は、大体述べたつもりである。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
※底本の題名の下に「昭和三年六月、国学院大学郷土研究会例会講演筆記」の記載あり。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年12月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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