生活が幸福になる。根が生えない時は効力がない事になると信じた。其杖は、普通根のあるものであるが、場合によつては、根のないものもある。桑の木などは、根がなくとも著き易い木で、祝詞にも「生《イカ》し八桑枝《ヤクハエ》の如く」などゝ書かれて居て、枝の繁る木である。ともかく、山人は根の附いて居る棒、或は根のない棒を持つて来て、其を挿して行くのである。
昔の人は、杖を倒に突いて、梢の方を下にして居る。此杖を叉杖《マタブリ》と言ふ。昔は乞食房主が此を持つて歩いた。此は西洋にも、何処にでもある形で、物を探つて行く為のものである。杖には根がある。後世の人には、杖を立てたのに、芽の出る事は非常に、不思議に感ぜられるけれども、此は、杖に対する観念が変化して居るからである。高僧たちが突きさして行つた一夜竹・一夜松の如きも、此が伝説化したものに過ぎない。さうして、弓矢でも根が生える様に、変つて考へられて行つたのだ。
此等は杖の信仰である。祝福の効果があるか、どうかの試みである。此効果の現れることを「ほ」が現れるとも「うら」が現れるとも言ふ。此杖は即「花育て」の花杖と同じものである。杖の先に花の咲く事がある。三河の花祭りに、杖の先に稲の穂を附けて来たといふが、此では、意味が訣らなくなる。花杖は、今年の稲の花を祝福する為のものである。花祭りの花は、稲の花の象徴であるのだ。

     二

花と言ふ語《ことば》は、簡単に言ふと、ほ[#「ほ」に傍線]・うら[#「うら」に傍線]と意の近いもので、前兆・先触れと言ふ位の意味になるらしい。ほすゝき[#「ほすゝき」に傍線]・はなすゝき[#「はなすゝき」に傍線]が一つ物であるなどを考へ併せればわかる。物の先触れと言うてもよかつたのである。
雪は豊年の貢、と言うた。雪は、土地の精霊が、豊年を村の貢として見せる、即、予め豊年を知らせる為に降らせるのだと考へた。雪は米の花の前兆である。雪を稲の花と見て居る。ほんとうは、山にかゝつて居る雪を主とするのであるが、後には、地上の雪も山の雪と同様に見るやうになつた。稲の花の一種の象徴なのである。処が、かうした意味の花は沢山ある。譬へば、冬の祭り、殊に宮廷の冬祭りなる鎮魂祭に持ち出す桙は、柊で作つたものである。日本紀・続日本紀を見ると、八尋桙根と言ふのが国々から奉られて居る。此は恐らく、棒ではなくて、柊を立ち樹のまゝ抜いて
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