、或は其樹てた木を錦木と言うたのか、問題であるが、それは結婚の為ではなく、私は外から来るある人が、土産として、樹てゝ行つたことの、一つの説明なのだらうと思ふ。御竈木の古い形を見たのは、三・信境の山間、遠州の山奥辺の風俗であつた。三河の奥で、初春行はれる祭りに「花祭り」といふのがある。昔は、前年の霜月に行はれた。即、春のとり越し祭りである。此祭りの意味から言ふと、来年の村の生活は此とほりだ、と言ふことを、山人が見せてくれるのであつた。其時、山人の持つて来る山苞には色々あつた。更に、其が種々に分れて来た。鬼木とも言ひ、にう木[#「にう木」に傍線](丹生木《ニフギ》か)とも言ふ木の外に、雑多なものを持つて来る。
花祭りと、にう木[#「にう木」に傍線]が門に樹てられる事とは、別の時ではあるが、今は正月の初めと小正月前後に当るから、近づいて来たのである。中世では、にう木[#「にう木」に傍線]の樹てられる初春と、花祭りの行はれる霜月とは、間があいて居たけれども、もつと古い時代には、にう木[#「にう木」に傍線]の樹てられる時と、花祭りの時とは同じ時で、其が次第に岐れて来たのであらうと推定出来る。
花祭りの行事は「花育て」といふ行事が演芸種目の中心になつてゐる。竹を割いて、先を幾つにも分けて、其先へ花をつけた花の杖をついて、花祭りを行ふ場所、其は普通|舞屋《マヒヤ》と言ふ家の土間、即まひと[#「まひと」に傍線]を廻るのである。其中央に、大きな釜があつて、湯がたぎつて居る。昂奮して来ると、見物人までも参加して、其周囲をまはる。其人々の中心に、山伏姿のみようど[#「みようど」に傍線]と云ふ者が居つて、花の荘厳(唱言、或は処によつて、唱文とも言うて居る)と言ふ文句を唱へる。此花の唱言は、場合によつては、非常に戯曲的になつて居る事もある。かうした儀式は、必しも花祭りでなくとも、行はれて居た様に思はれる事であるが、何故、かうした行事をしたかは、大きな問題になる。尠くとも、半解の問題である。
私の考へを述べると、みようど[#「みようど」に傍線]は即、私の言ふ山人である。其山人は、山から多くの眷属を連れて、群行《グンギヤウ》して来る。其時山人は杖をついて来て、去る時には、其山人のしるし[#「しるし」に傍線]なる杖を、地面に突き挿して帰る。其杖から根が生えると、此祭りの唱言が効果を奏して、村の農業
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