来たものであらう。それで、根の字が着いて居るのであらう。此で以て地面をどん/\と、胴突きして廻つたのである。「柊」の字も「椿」の字も国字である。
榎・楸の如き字も、何故問題になるのか。其は村々国々によつて特殊な祭りに、手草《タグサ》として使用するものであつたから、木偏に其季を附けて表したのであらう。勿論、柊の花は冬咲くものであるが、其花の咲き方で占つたり、或は柊の桙で突いて、占つたものと思はれる。春になると雪が、今言うたやうに、花になる。其外、卯月に卯の花、五月に皐月《サツキ》・躑躅《ツヽジ》などがある。
花祭りの花は稲の花の象徴であるが、其中心になる人は、今では修験道の後々の、前述のみようど[#「みようど」に傍線]が勤める。其前の形は、山伏の前型なる山人が勤めた。其つく杖に、今年の農業に関する先触れが現れるので、此杖を以て、土地を突き廻つた。村人に此象徴を見せて廻ると同時に、土地の精霊に、かう言ふ風にせよ、と約束させるのである。更に溯れば、土地の精霊が自ら示したものである。今年も、此杖に附いて居るとほり、稲の花が咲くだらうと言ふ徴《シルシ》である。
三月の木の花は桜が代表して居る。屋敷内に桜を植ゑて、其を家桜と言つた。屋敷内に植ゑる木は、特別な意味があるのである。桜の木も元は、屋敷内に入れなかつた。其は、山人の所有物だからと言ふ意味である。だから、昔の桜は、山の桜のみであつた。遠くから桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占つた。花が早く散つたら大変である。
考へて見ると、奈良朝の歌は、桜の花を賞めて居ない。鑑賞用ではなく、寧、実用的のもの、即、占ひの為に植ゑたのであつた。万葉集を見ると、はいから[#「はいから」に傍線]連衆は梅の花を賞めてゐるが、桜の花は賞めて居ない。昔は、花は鑑賞用のものではなく、占ひの為のものであつたのだ。奈良朝時代に、花を鑑賞する態度は、支那の詩文から教へられたのである。
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打ち靡《ナビ》き春さり来《ク》らし。山の際《マ》の遠き木末《コヌレ》の咲き行く 見れば(万葉巻十)
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の如き歌もあるが、此は花を讃めた歌ではない。名高い藤原広嗣の歌
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此花の一弁《ヒトヨ》の中《ウチ》に、百種《モヽクサ》の言《コト》ぞ籠れる。おほろかにすな(万葉巻八)
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は女に与へた
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