「いなう」に傍線]と言ふものになつて居る。此は、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]在来のものでなく、日本の稲穂の信仰様式があいぬ[#「あいぬ」に傍線]へ這入つたものであらう。いなう[#「いなう」に傍線]は、日本の御幣の如きものであるが、御幣ではない。甲州ではあぼ[#「あぼ」に傍線]・へぼ[#「へぼ」に傍線]と言ふが、粟穂・稗穂等と言ふ意味であらう。削りぐあひで、色々あるのだ。稲穂は其一種である。此があいぬ[#「あいぬ」に傍線]へ這入つて行つたのは、近代の事ではない。
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筑波嶺に雪かも降らる。否諾《イナヲ》かも。愛《カナ》しき児等《コロ》が布《ニヌ》乾《ホ》さるかも(巻十四)
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といふ歌が、万葉集の東歌の中にある。あいぬ[#「あいぬ」に傍線]の木幣《イナウ》を知つて居る学者は、木幣《イナウ》と信じて、此歌をもつて、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]が此附近に住んで居た証とするが、此は勿論さうではない。
削り花は早くからある。古今集巻十の「物名《モノヽナ》」の籠め題に「二条后の東宮の御やすん所と申しける時に、めど[#「めど」に傍線]にけづり花[#「けづり花」に傍線]させりけるを詠ませたまひける」と言ふ詞書があつて、
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花の木にあらざらめども 咲きにけり。ふりにし木の実なる時もがな(文屋康秀)
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とある。めど[#「めど」に傍線]は馬道で、廊下の暗い処に削り花の掛つて居たのを詠んだものである。此頃には既に、削り掛けの出所を疑ひ、後には合理化して、花の形だとして居る。何故花の如きものを作つたかと言ふに、祝福の形なのである。此以前に、も一つ先の形があつたと思ふ。其は、山人が突いて来た杖の先のさゝけ[#「さゝけ」に傍点]たものが、花の徴《シルシ》になつたものであらう。卯杖と言ふ杖は、土地をつゝき廻ると、先の方がさゝけ、根は土の中で著く。此さゝけ[#「さゝけ」に傍線]が花の徴《シルシ》になり、そして、最初の形であると思ふ。竹ですればさゝら[#「さゝら」に傍線]になる。簓《サヽラ》も一種の占ひの花であつた。葬式等には髯籠《ヒゲコ》を作る。此先のさゝけ[#「さゝけ」に傍線]が肝腎である。其さゝけ[#「さゝけ」に傍線]の分れ方で、一種の占ひになつたものと思ふ。
此話と関聯して、言はなければならないのは、万葉集
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