#「ほよ」に傍線]・はな[#「はな」に傍線]を考へて来た。八尋桙根は、柊の棒で作つたもので、立ち木のまゝで地を胴突くと花が咲くといふのである。此花を以て、農業の先触れとした。柊は、魂をくつ着ける予備行為の為事と、花としての為事との二様の必要があつたのだ。其為、非常に、大切にされて居る。
三河の奥の花祭りは、もとは霜月の末に行はれたのが、近頃では、春になつて居る。だが、時期から見ると、冬から春に変る時に、稲花の様子を示す祭りである。山人が、予め準備して置いた竹棒の先に、花をつけて、其で土地を突いて歩く。此が、中心行事で、土地の精霊が、其に感応して、五穀を立派に為上げると言ふ信仰であつた。
榊は、神と精霊と、神と人との、問答の木である。さか木[#「さか木」に傍線]の語原は訣らぬが、一種の通弁の機関である。謡曲の「百万」を見ると、狂女の背を榊で打つと、ものを言ひ出す科《シグサ》がある。其は一つの例である。榊と称する木にも、沢山の種類がある。小山田与清の「三樹考」を見れば、榊に属する木の名は皆、挙げられてゐる。三河の花祭りの鬼も、榊で打つと物を語り出し、それから榊を中心として、問答をする。榊によつて、言葉が伝はつて来るのである。換言すれば、榊はもどきの木[#「もどきの木」に傍線]、説明役の木である。
橘はまた違うて、生命を祝福する木に相違ない。橘の実を「ときじくの香《カグ》の木《コ》の実」と言うた。たぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]は、但馬の人――私は出石人《イヅシビト》と名をつけて置く――で、考古学者は漢人種の古く移民して来たものだと言うて居る。此人々の、祖先の中の一人であつた彼が、垂仁天皇の仰せにより、常世へ行つて、ときじくのかぐの木の実[#「ときじくのかぐの木の実」に傍線]を将来した。ときじく[#「ときじく」に傍線]は、常にある意で、かぐ[#「かぐ」に傍線]はよい香のある意である。たぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]が帰つて見ると、天皇はもう崩《ナ》くなつて居られた為に、哭いて天皇の御陵の前に奉つた事は名高い伝へである。
日本紀には、縵《カゲ》四縵・矛四矛を大后に奉り、縵四縵・矛四矛を御陵に奉つたとある。桙と言うても、棒のみを斥《サ》すものではなく、かげ[#「かげ」に傍線]は冑をまで称せられた。橘の細い杖を撓めて鬘にし、八つの縵と八つの矛とを造つて、奉つたのである。
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