の植物の説明が附いて来る。
此等の木は、たぐさ[#「たぐさ」に傍線]として、呪《まじな》ひをする木と言ふ事である。たぐさ[#「たぐさ」に傍線]は踊りを踊る時に、手に持つ物で、呪術の力を発揮するものである。こゝに、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]としての植物に関聯したものゝ俤が見える。
とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]について、私のまづ動かないと思ふ考へは、吾々と吾々の祖先とが鉱物なり、動物なり、植物なりから分れて来た元の形が、それだとするのではなく、また、吾々の生活条件に必要なあるものから、吾々が、分岐して来た其もの、即、生活条件が吾々と並行して居るものとするのでもない。私は、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]は、吾々のまな[#「まな」に傍線]の信仰と密接して居るもの、とするのである。吾々と同一のまな[#「まな」に傍線]には、動物に宿るものもあり、植物に宿るものもあり、或は鉱物に宿るものもある。そして、吾々と同一のまな[#「まな」に傍線]が宿る植物なり、動物なりを使用すれば、呪力が附加すると信じて居たのだ。此を古語で「成る」と言ふ。「成る」は内在する事で、其中へ物が入り込む事でもある。即、同一のとうてむ[#「とうてむ」に傍線]を有する動物・植物・鉱物なりをたぐさ[#「たぐさ」に傍線]として振りまはせば、非常な偉力が体内へ這入つて来る、と考へたのである。
とうてむ[#「とうてむ」に傍線]は人間以外に、外の物へ入る事もあつて、此中、日本では、動物の信仰と植物の信仰とが、明らかに分れて了うた。日本でも、光線をとうてむ[#「とうてむ」に傍線]に使用した痕跡があるし、また、信仰的に、動物や植物が沢山出て来る。動物の時はつかはしめ[#「つかはしめ」に傍線]となつて居り、植物の時はたぐさ[#「たぐさ」に傍線]となつて居る。これが段々変化して、更に、沢山のたぐさ[#「たぐさ」に傍線]が出来た。こゝに、植物と人間の祭りとの関係が現れて来る。さうして、時代的に合理化せられて、変化する。其過程に、桙を一突き突くと、魂がめざめて来たり、花が咲くと、今年の成りもの[#「成りもの」に傍線]の前兆になると言ふ考へが岐れて出た。つまり、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の考へから、宗教の原始的思想に這入つて来た。そして人間の魂を自由に扱ふ事が出来ると言ふ考へから、ほよ[
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