来て、時の変り目に、内在魂が発散するから、此を防ぐ為の魂を鎮める行事となつた。此がたましづめ[#「たましづめ」に傍線]である。
たまふり[#「たまふり」に傍線]からたましづめ[#「たましづめ」に傍線]に変る中に、ふゆ[#「ふゆ」に傍線]なる増殖分岐を考へた。もとは人が魂を附加してくれる。此が、自分の魂の分岐増殖したのを、分けて与へる様になる。みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]は、此である。魂を祭る冬祭りと言ふ観念が、一緒にくつゝいて居る。御魂祭りは生人・死人の魂を祭る事である。平安朝時代は、専、御魂祭りをすると考へて居た。意味が固定して、古典的になつて居たのである。
以前は、みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]を「恩賚」と書いて居る。天皇の恩顧を蒙る事をみたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]の義と考へて居るが、実は、天皇或は高貴の方の魂の分岐して居るのを貰ふ為に、恩賚と言ふのである。みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]は、魂の分岐したものを人に頒けてやる、其分れた魂、増殖した魂の事を言ふ。分割せられた魂を頒けて貰へば、自分も偉くなるので、其が、恩賚と宛てるやうになつた所以である。
たまふり[#「たまふり」に傍線]には、鎮魂を行ふ意味と、魂を分割する意味とがある。春夏秋冬の冬は、魂の分割を考へた時代に出来た名であると思ふ。
冬の時期には、山びとが山苞《ヤマヅト》を持つて出て来る。山苞の中の寄生木《ホヤ》(昔はほよ[#「ほよ」に傍線])は、魂を分割する木の意味でふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふのである。初春の飾りに使ふ栢《カヘ》(榧)も、変化の意で、元へ戻る、即、回・還の意味である。かは[#「かは」に傍線]・かひ[#「かひ」に傍線]・かふ[#「かふ」に傍線]・かふ[#「かふ」に傍線]・かへ[#「かへ」に傍線]と活き、同時に、かへ[#「かへ」に傍線]・かへ[#「かへ」に傍線]・かふ[#「かふ」に傍線]・かふる[#「かふる」に傍線]・かふれ[#「かふれ」に傍線]の活用をする故に、かへる[#「かへる」に傍線]・かふる[#「かふる」に傍線]とあつても同様である。栢の木は、物が元へ戻る徴《シルシ》の木であつた。此木をもつて、色々の作用を起させる。魂の分割の木は、寄生木で、春のかへる[#「かへる」に傍線]意味に、栢が使はれるのである。かう言へば、段々年末から春へかけて
前へ
次へ
全19ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング