#「だめ」に傍点]である、と言ふのである。一番最初に花と言ふのは、花の咲いて居るものではなく、先触れにうら[#「うら」に傍線]・ほ[#「ほ」に傍線]として出て来るもので、先触れの木である。咲く花でない証拠には、花の木[#「花の木」に傍線]と言ふものがある。此は、一種の匂ひの高い木で、花ではなく、樒などが用ゐられた。
樒の花は、問題になる程目につく花ではなく、榊に近いものである。何かの前兆になる神の木で、榊の一種類であつた。昔、問題にされた木には、却つて、花の咲かないものが多く、咲く花のみに、捉はれはしなかつた。古く、花と言ふ語は、最多く副詞になつて現れてゐる。物の先触れと言ふ処から、空虚なものに使用せられる、浮いた言葉なのである。
秋の花の中には、秋の七草がある。此に対して、春の七草もある。春の七草は、近世では禁厭《まじな》ひの物である。秋の七草は、禁厭ひの意味は何も訣らぬが、鑑賞目的の為にのみ数へあげられたとばかりは、考へられないものがある。此点はまだ考へられない。
木や木の花を式に使ふ事は、魂を鎮める為と、予め今年一年の農作の結果を前触れする為の象徴に使用するのと、二様ある。鎮魂の方は、主に桙で、先触れの方は、花である。木に就て、此両面が分れて居る。

     六

ふゆ[#「ふゆ」に傍線]は触《フ》れることである。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]とふる[#「ふる」に傍線]とは同じ事である。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]は物を附加する事であるが、もとは物を分割する意味である。ふる[#「ふる」に傍線]はまな[#「まな」に傍線](外来魂)を人体に附加する事で、冬になると総てのものをきり替へるので、魂にも、外から来る勢力ある魂を附加するのである。発音がふる[#「ふる」に傍線]ともふゆ[#「ふゆ」に傍線]とも言ふ為に、附加する事を意味して居る。それが次第に変化して、魂の信仰も変つて来、自分の体の魂を分割して与へる様になる。即、魂に枝が出来る。勝手に分岐するのである。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]は、分岐するから、増殖すると言ふ意味が出て来る。
魂を附加するのは、鎮魂祭である。此を魂《タマ》ふり[#「ふり」に傍線]と言ひ、その儀式が厳冬に行はれる。魂ふり[#「魂ふり」に傍線]はまな[#「まな」に傍線]を内部に附加して了ふ事であるが、支那の鎮魂は内の魂を出さない様にする事である。此が変化して
前へ 次へ
全19ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング