ぎ」に傍線]は不自然である。
田の中には、躑躅でなければ、柳をさす。七部集の「田中なるこまんが柳」など言ふのも、此である。田の中へ柳をさす事は、今でも行はれて居る。柳は枝が多く、根の著き易いものであつて、一種の花なのである。此系統から行くと、正月飾るものは、皆|斎《ユ》の木である。餅花・花の木・繭玉・若木・物作りの如きは、枝が沢山出て居るから、花の代りになる。其だけでは、物足りないから、物の形の餅や、稲穂・粟穂・稗穂・繭玉の如きものをつける。此が斎の木の標本的のものである。夏になると、柳である。熊野の信仰では、榎の方のゆの木[#「ゆの木」に傍線]を用ゐた。「榎」の音にも斎《ユ》の木の聯想があるものと思ふ。
秋は、楸を用ゐる。楸は梓の一種であつた。棒にするには、極《ゴク》都合の良い木である。恐らく、秋の祭りに楸の木を使用したものであらう。
万葉集・懐風藻等を見ても、柘《ツミ》[#(ノ)]枝《エ》の仙女伝説がある。日本の昔は、神と人間との結婚の形は、神が一旦他の物に化つて、其から人間の形になる事になつて居る。柘[#(ノ)]枝の仙女は、柘[#(ノ)]枝で作つた杖の信仰である。
万葉集を見ると「花に」と云ふ副詞がある。はなづま[#「はなづま」に傍線]・はなにしもはゞ[#「はなにしもはゞ」に傍線]の如きものである。見たゞけの妻――妻でありながら、手も触れられない妻と云ふのが、花妻である。萩の花妻と言ふのは、普通の解釈では、萩の花は鹿の花妻で、鹿の連合ひと言ふのだとして居るが、落着かない考へだ。萩の花と鹿とはくつゝいて居るが、ほんとうの妻ではない、と言ふしやれ[#「しやれ」に傍点]があるのであらう。
[#ここから2字下げ]
足柄《アシガリ》の箱根の嶺《ネ》ろのにこ草の 花妻なれや、紐解かず寝む(万葉巻十四)
[#ここで字下げ終わり]
は、花妻なれば知らぬこと、花妻でないから、紐解かずに寝られないと言ふ意味である。花妻の「花」と言ふのが、古い語の意味に近い。手の触れられない妻、見るだけの妻と言ふ意味である。即、処女である間の女である。「花に」と言ふ語は、もろく[#「もろく」に傍線]・あだに[#「あだに」に傍線]・いつはりに[#「いつはりに」に傍線]・上べだけ[#「上べだけ」に傍線]の意味になるが、実は「花に」は、今の語では解けないのであつて、前兆はかうであつたが、結果はかうだめ[
前へ 次へ
全19ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング