て、河童は居ない。みづち[#「みづち」に傍線]一類の語が、用ゐられてゐる。大抵、鼈を言ふやうである。飛び離れた処々にも、この語を使ふ地方で著しい事は、みづし[#「みづし」に傍線]・みんつち[#「みんつち」に傍線]・めどち[#「めどち」に傍線]・どち[#「どち」に傍線]など言ふが、大抵水の主《ヌシ》の積りで、村人は畏がつてゐる。殆、人間の祈願など聞き分ける能力のあるものではない。近づく人をとり殺すと言ふ、河童の一性情を備へて居るばかりで、大抵その正体は、空想してゐる場合が多い。だからみづち[#「みづち」に傍線]は、必しも、一定した動物を言はない様である。みづち[#「みづち」に傍線]信仰の最高位にある、山城久世の水主(ミヅシ)神社の事を考へて見たい。元来地方々々に、自然に生じたと見るよりも、此社の信仰の、宣布せられた事を考へる方が、正しいらしい。だが今では、みづち[#「みづち」に傍線]には、祠のある物すら尠い。みづち[#「みづち」に傍線]の中にも含まれてゐる鼈の類は、又、どんがめ[#「どんがめ」に傍線]・どんがす[#「どんがす」に傍線]・がめ[#「がめ」に傍線]など謂ふ別の語で、はつきり区
前へ 次へ
全36ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング