さや むさや。いるさや むさや
[#ここで字下げ終わり]
下の句は、何とも訣らぬだけに、童謡か、民謡らしく思はれる。だが「いつさや むさや」は、「いつさら むさら」と関係がありさうに思ふ。皿数へ唄が、五皿六皿から始まるらしいのを考へ合せると、殊にさう思はれる。時代の新古によつて、類似民俗の前後をきめるのは、とりわけ民謡の場合、危険である。だがこの唄では、今昔に俤を残したものゝ方が古くて、皿数への方が、其系統から変化したもの、と思うてよい様である。皿数への唄一個が因で、果して皿数への妖怪を考へ出したであらうか。少々もの足らぬ感じがする。尊敬する喜多村氏の為に、其仮説を育てゝ見たい。
「いつさや むさや」時代には、大体皿の聯想のなかつたもの、と見てよからう。さうすれば、皿数への妖怪にも、交渉のあるはずがない。さや[#「さや」に傍線]がさら[#「さら」に傍線]となり、いつ[#「いつ」に傍線]が五《イツ》、む[#「む」に傍線]が六《ム》の義だ、と解せられると、「なゝさら やさら」と、形の展開して行くのは、直《スグ》であらう。皿数への形が整ふと、物数への妖怪の聯想が起る。壱岐|本居《モトヰ》の河
前へ
次へ
全36ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング