を古いものと見てゐる。
皿が小さくてもよい様に思ふのは、水の方を考へるからである。土地によつては、頭の皿は、芥子坊主の頂の剃つた痕と一つにしてゐる様である。又其処の骨が、自ら凹んでゐるとするものもある。或は、皿は髪の毛の中に隠れてゐるとも言ふ。大体は、此位の漠然とした考へ方である。
北九州の西海に面した地方は、河童の信仰の、今も最明らかな処である。皿がちやんと載つてゐると言ふ処が多い。唯、其皿について、仰向いてゐるとするのと、頭の頂に伏せられてゐると言ふのと、上下二枚の皿が合さつて蓋物の様になつてゐる、と説くものとがある。第三のは、水のこぼれを防ぐつもりの物らしく、おもしろいが、一番新しい形だと思ふ。頭の皿と言へば、仰向けか、うつ向きかは、誰にも問題にならない程、わかりきつた時代の説明省略のまゝの形を、ひき継いだ後の代には、早く皿の据ゑ様を、思ひ浮べる事が出来なくなつたのであらう。其でかう、色々に説く様になつたのである。私は恐らく、皿は伏せられて居たのであらうと思ふ。其も、今まで考へて来た様な、小さな物に限るまいと思ふ。もつと大きな物であつたかも知れぬ、と思ふ。
かうした皿を、子どもの
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