ケイマゲウツチヨ》け」と叫んだ。其跡が「げいまぎ崎」と言はれてゐる。又三千の人形に、千体は海へ、千体は川へ、千体は山へ行け、と言うて放した。此が皆、があたろ[#「があたろ」に傍点]になつた。だから、海・川・山に行き亘つて、馬の足形ほどの水があれば、其処にがあたろ[#「があたろ」に傍点]が居る。若し人の方の力が強ければ、相撲とりながら、其手を引き抜く事も出来る。藁人形の変化だからと言ふのである。
両手が一時に抜けたとは言はぬが、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]のみんつち[#「みんつち」に傍点]に似過ぎる程似てゐる。夏祓へに、人間の邪悪を負はせて流した人形《ヒトガタ》が、水界に生《シヤウ》を受けて居るとの考へである。中にも、田の祓へには、草人形を送つて、海・川へ流す。夏の祓へ祭りと、河童と草人形との間に、通じるものゝあるのは、尤である。而も、河童に関係浅からぬ相撲に、骨を脱《ハヅ》して負ける者の多い処から、愈河童と草人形との聯想が深まつて来た、と思はれる。
[#嘴と翼をもつ河童の図(fig18395_08.png)入る]
古代の相撲は、腕を挫き、肋骨[#「肋骨」は底本では「助骨」]や腰骨を蹶折る、と言つた方法さへあつた様である。中古以後、秋の相撲節《スマフノセチ》に、左方の力士は葵花、右方は瓠《ヒサゴ》花を頭へ挿して出た。瓠は水に縁ある物だから、水の神所属の標らしく、さうして見ると、葵は其に対立する神の一類を示すものであらう。必しも加茂とも考へられぬが、威力ある神なのであらう。瓠花も、瓢も、他の瓜で代用が出来た。
だが、なぜ後世渡来の胡瓜をば、水の精霊の好むものと考へたのだらう。恰好は、稍瓠の小形なものに似て、横に割つた截り口が、丸紋らしい形を顕してゐる。祇園守りの紋所だと言ふ地方が広い。瓜の中に神紋らしいものゝ現れて居り、ひねる[#「ひねる」に傍点]となかご[#「なかご」に傍点]が脱けて了ふ。「祇園祭り過ぎて胡瓜を喰ふな。中に蛇がゐる」との言ひ習しも、いまだに、各地に残つてゐる。祇園は異風を好んだ神である。此神の為にはかうした新渡の瓜を択ぶ風が起つた為とも考へられる。瓜に顔を書いて流す風もあつた。胡瓜に目鼻を書くと、いぼ/\の出た恐しい顔になる。この怖い顔した異国の瓜を、他界から邪悪を携へて来た神の形代として流し送る。かうした考へから、夏祓への川祭りに、胡瓜が交渉を持つ様
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