化が、歌謡の様式を推移させて行く模様が知れる。言語を基礎とする詩歌が、言語・文章の根本的の制約なる韻律を無視してよい訣《わけ》はない。
口語歌は、一つの刺戟《しげき》である。けれども、永遠に一つの様式として、存在の価値を主張することは出来ない。私は、口語歌の進むべき道は、もっと外に在ると思う。自由な音律に任せて、小曲の形を採るのがほんとうだと思う。而も短歌の形を基準としておいて、自由に流れる拍子を把握するのが、肝腎《かんじん》だと考える。将来の小曲が、短歌に則《のっと》るべきだと言うのは、琉歌・なげぶし[#「なげぶし」に傍点]等の形から見ても見当がつく。日本の歌謡は、古代には、偶数句並列であったものが、飛鳥・藤原に於て、奇数句の排列となり、其が又平安朝に入って、段々偶数句並列になって、後世に及んだ。私は民謡として口誦《こうしょう》せられた短歌形式は、終に二句並列の四行詩になったのだと思う。それで試みに、音数も短歌に近く、唯自由を旨とした四行詩を作って見た。そうしてそこに、短歌の行くべき道があるのを見出した様に考えている。
石原純は、更に開放的に、一行の語数の極めて不同な句の、四句・五句
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