たのは修験道で、此は全く、山の神人から、苦行生活を第一義にとつて進んだのです。だから、里人に信仰を与へるよりも、まづ、祓への変形なる懺悔・禁欲の生活に向はしめました。即、行力を鍛へて、験方《ゲンパウ》の呪術を得ると言ふ主旨になります。だから、修験道は、長期の隔離生活に堪へて、山の神自体としての力を保有しようとした山人の生活に、小乗式の苦行の理想と、人間身を解脱して神仙となるとする道教の理想とをとり込んだに過ぎません。後々までも、寺の験方の形式をとり去ると、自覚者の変改した神道の姿が現れるのです。垢離は禊ぎであり、懺悔は、山祇の好む秘密告白と祓へとの一分岐です。禅定・精進《サウジ》は、山籠りの物忌みで、成年授戒・神人資格享受の前提です。
御嶽精進を経て、始めて男となると言ふ信仰は、近代に始まつた事ではない様で、山地に居させ、禁欲・苦役の後、成年戒を授けた昔の村里の規約が、形を変へて入つて来てゐます。男だけの山籠りで、女子は結界厳重な事も、女人禁制の寺方を学んだのではなく、固有の秘密結社の姿なのでした。山の神・山人がおに[#「おに」に傍線]と感じられて来たのに対して、天狗を想像する様になりました。古代のおに[#「おに」に傍線]は、後世の悪鬼羅刹などでなく、巨人と言ふだけの意義でした。大方、赤また[#「赤また」に傍線]・黒また[#「黒また」に傍線]など言ふ先島《サキジマ》のまれびと[#「まれびと」に傍線]と、似た扮装をしたものであつたのでせう。田楽には、鬼や天狗がつきものになつてゐたらしいのですが、猿楽では、翁の柔和な姿になつてゐます。だが、「谷行《タニカウ》」の様な、山入りの生活を明らかに見せるものがあり、又、天狗も「第六天」や「鞍馬天狗」や「善界《ゼガイ》」など、数へきれない程あるでせう。田楽には天狗の印象があるだけで、今残つた種目からは窺はれません。其に比べて数から言へば、猿楽は、天狗舞を一分科とするほどです。先達・新達の区別も、宿老《トネ》と若者との関係です。山人生活のかたみ[#「かたみ」に傍線]だと言へないかも知れませんが、ともかくも考へに置かねばなりませぬ。
天狗が出産のあら血を嫌ふ事は、柳田先生が、古く「天狗、山の神」説に述べられました。山の神、或は山人生活の行儀・禁忌などが、その儘伝つて居るではありませんか。だから、修験道は、山人の間に※[#「酉+慍のつく
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