り」、第3水準1−92−88]醸せられた、自覚神道だ、と思ひます。此為に山人も、末は色々に岐れて行つてゐます。
山村に神事芸が発達すると共に、本来の姿で生活してゐる海人の村にも、偶人劇や歌詠が育つてゐました。さうしたものが、祭りの日に行はれてゐる中に、段々演芸化してまゐります。そして、神事能の外、種目が多くなつて行きます。中には遊行伶人団となつたものも、元より、早くにあつた事は考へられます。宮廷の神楽は、海人部出の物なので、海人部の偶人に当るものが、宮廷では、狂言方の才《サイ》の男《ヲ》です。其以前からあつた神遊びには、人形を用ゐなかつたから、人にして人形身になる「才[#(ノ)]男[#(ノ)]態」なるものを生んだのです。――社々のせいなう[#「せいなう」に傍線]・さいのを[#「さいのを」に傍線]は大抵、偶人だつた様です。――山人の神事にも人形のまじつた痕はありません。山人は、宮廷・神社の祭りに出れば、脇方に廻つたものなのでせうから、才の男なども、山人が勤めたのではないか、と思はれる処が、尠からず見えます。人長に対する才の男の位置は、もどき[#「もどき」に傍線]であり、其態は、狂言だつた様で、常世の神人と山の神人との関係にある様です。才の男系統の猿楽が、翁には翁・人長・黒尉・才の男と言つた形になつて来かゝつてゐます。此は神と精霊との関係の混乱し易い為です。
山村の印象と見るべきものは、山彦[#「山彦」に傍線]・こだま[#「こだま」に傍線]など言ふ、口まね[#「口まね」に傍線]・口ごたへ[#「口ごたへ」に傍線]をする精霊の存在を信じた風の起原です。山人の芸の中に、さうした猿楽式なもどき[#「もどき」に傍線]が発達してゐた為、山人の木霊《コダマ》を一つにしたもので、やはり、一つの芸術の現実化して考へられたものでせう。才の男のする「早歌」のかけあひなども、やはりもどき芸[#「もどき芸」に傍線]なのです。
猿楽能は山人舞の伝統を引くもので、社寺の楽舞に触れて変化し、民間の雑楽に感染してとり込み、成立後の姿からは、元の出処が知れぬ位に、変つてしまひました。楽[#「楽」に白丸傍点]と言ふ字のつくのは、雑楽の義で、田楽は其であり、舞[#「舞」に白丸傍点]の方が一段上で、正舞系統を意味するものらしい、と、かう言ふ仮説は立たないでせうか。だから、寺方出の舞のはで[#「はで」に傍線]なも
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