風に、仮面の色から名づけた二体の巨人が、蔓草を身に被り、畏ろしい形相の面を被つて出ます。処によつては、青また[#「青また」に傍線]と言ふのが、代つて出る事もあつて、洞穴又は村里離れた岬などから出るのです。此は、鬼と言ふべきものであります。にらいの大主[#「にらいの大主」に傍線]と浄化した地方に対して、此にいる[#「にいる」に傍線]宮城《スク》から来る者は、祖霊と神との間に置くべき姿をしてゐます。祖霊の、異形身と畏怖の情とが、其まれびと[#「まれびと」に傍線]との関係を忘れた世に残れば、単に、祝福と懲罰と授戒との為に来る巨人を、考へる様になる筈です。此が、聖化し、倫理化して考へられると、にらいかないの神[#「にらいかないの神」に傍線]となるのです。

     四 尉と姥

かう言つて来ますと、考妣二体、又は一位の聖なる者の、或は群行者を随へて来る神来臨の形式が思はれます。内地の、古代から近代に続いてゐる、まれびと[#「まれびと」に傍線]の姿も一つ事なのです。考妣二体の聖なる老人と言へば、直に聯想するのは、高砂の松の精と住吉明神一対の「尉と姥」の形です。謡の高砂が、さうした標本を示す前から、翁媼の対立は、考へられて居ました。平安初期に、既に、大嘗祭の曳き物なる「標山《シメヤマ》」にすら、蓬莱山の中に、翁媼の人形を立てゝ居ました。常世の国の考妣二位のまれびと[#「まれびと」に傍線]を、常世の蓬莱化した時代にも、仙人の代りに据ゑて怪しまなかつたのです。高砂に出る住吉明神は、播州からは彼方の津の国をさす処に、来臨する神と、神行き媾《ア》ひの信仰とを印象して居るのです。
日本の書物で、まづ正確に高砂式のまれびと[#「まれびと」に傍線]の信仰を書き残したのは神武紀です。香具山の土を、大和の代表物《モノザネ》として呪する為に取りに行つたのは、椎根津彦《シヒネツヒコ》と弟猾《オトウカシ》とでした。弟猾は男の様に考へられて来ましたが、兄猾を兄か姉かとしても、此は、女性の神巫だつたのです。男の方は老翁になり、女の方は老媼に扮《ヤツ》し、敵中を抜けて、使命を果しました。此は、常世人の信仰があつたから出来た物語です。敵人は見逃し、御方は祝福せられる呪詞呪法の助勢を得た事を、下に持つて居るのです。呪詞呪法は、常世の国から齎らされたもの、と信じられてゐたのでした。
歳暮に来て、初春の年棚の客と
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