なる歳神《トシガミ》――歳徳神《トシトクジン》とも言ふ――の姿も、高砂の尉と姥の様な、と形容する地方が多いやうです。さすれば、考妣二体の祖霊です。近世の歳神は、海を考へにおいた常世神と違つて、山から来る様に、大抵思はれてゐます。同じ名の神の性格にも、古今で、大分違ひがある様ですが、出雲人の伝へた御歳神・大歳神は、山祇《ヤマツミ》の類と並べてある処を見ると、山中に居るものと見てゐたらしいのです。古く、海祇《ワタツミ》から山祇に変化すべき理由があつたからです。近代の歳神には、穀物の聯想が少くなつて、暦の歳の感じが多く這入つてゐますが、此名は俗陰陽道などが、古代の神の名を利用して、残し伝へたものと思はれます。だから、方位の聯想などがあるのです。
山から来る歳神にも、一人としか考へられてゐないのがあります。又群行を信じてゐる地方もあります。歳神にお伴があるわけです。かうなると、祖霊来臨の信仰に近づいて来ます。年神棚を吊らず、年縄や年飾りをせぬ家や村があります。此等は、山の歳神以前の常世神の迎へ方を守つてゐて、家風の原因を忘れたものが多いのでせう。だが、まだ外にも理由はある様です。
五 山びと
常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したからです。元来、山地の前住者の間に、さうした信仰はあつたかも知れませぬ。だが書物によつて見たところでは、海の神の性格職分を、山の神にふり替へた部分が多いのです。
私は山の神人《カミビト》、即|山人《ヤマビト》なるものを、こみ入つた事ながら、説かねばならなくなりました。山守部と山部とは別の部曲です。私は、山部を山人の団体称呼と考へてゐます。其宰領が、山部宿禰なのでせう。ちようど海人部《アマベ》があま[#「あま」に傍線]と言はれるやうに、山部も山《ヤマ》と言はれてゐます。山《ヤマ》[#(ノ)]直《アタヘ》・山[#(ノ)]君などいふのが、其です。海人は、安曇《アヅミ》氏の管轄で、安曇氏は海人部の族長ではない事を主張して居ます。が、山部氏は山人族の主長であるらしいのです。安曇氏の如きも、其ほど海人の血から離れてゐるか、信じられません。山人なる山部が、基本職を忘れて来る様になつて、山部・山守部の混同が起ります。山人とは、どうした部民でせうか。
私の仮説では、山の神に仕へる神人だとするのです。海人部が、海祇《ワタツ
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