猿とするなどいふ信仰もあつたと思はれるのである。山姥狂言の中にも、手白の猿を出した物があつた。今日さう言ふ芝居絵を見ても、別に手に特徴はない。結局別に語原を持つものに違ひない。
古代に手代部といふ部曲のあつたのも、後世の神社に於ける手長職と同じもので、神の手其物として働く部曲だつたらしい。てしろ[#「てしろ」に傍線]の語《ことば》ばかりが残つて、実の忘れられた時代に、山王のつかはしめ[#「つかはしめ」に傍線]なる猿を手白と感じ、特別に又、さうした霊妙な一類があることも考へてゐたのだらう。が、今いふ、信仰もあつたかと思はれるのである。前述の山姥狂言の中に出る手白の猿も愛護若の物語とは関係なく、山姥の狂言の中に、手白の猿の姿を描いた、江戸の芝居絵を見たことがあるだけで、他には、何の材料も見あたらぬ。
鼬の骸を仮つて、地獄の幽霊が復帰して来るのは、因果物語であるが、説経としての特徴を止めたものである。尚、桜の木に愛護を吊るのは、説教節通有の拷問をこんなところにも割り込ましたのだが、神仏の身代りで、脱出する其常型は破つてゐる。
細工が禁札の為に、途中から引つ返す条、叔父帥[#(ノ)]阿闍梨が疑うて逢はぬと言ふ、はる/″\来た者を還す件は、同じ説経の石童丸の母と父との物語に通じてゐる。但、阿闍梨が、天狗の障碍と疑うた点だけは、長物語に幾分か似通つてゐるが、其は他人のそら似であつて、肝腎の山伏も石室も現れないのである。其よりももつと注意の値打ちのあるのは、苅萱のやうに故意でなく、齟齬が原因で、空しく山を下る点である。
一体児物語は必、妻争ひ民譚の一種、美女自殺の結末の筋を引いて来るので、競争者のない時でも、円満な解決を見ぬのが常になつて居て、入水して自殺するのが多い。児入水譚は、高野其他大寺には、つき物の様である。江[#(ノ)]島の児个淵伝説は相手方の僧も後を追ふ事になつてゐるが、大体は、能動側の男は発心、又は堅固に出家を遂げる、と言ふ発心物語となつて居る。細工夫婦の死も、後追ひの死とは考へられぬ。寧、前に言つた多人数殉死・殉死者転生の物語となつてゐる。
其外、宝比べ・申し子などいふ形式は、愛護民譚に限つた事でないから、茲には言ふまい。若の挿した松の枝が、唐崎の一つ松に化生したといふのは「女筆始」のついて来た松が枝の杖をさしたと言ふ方が、古い形を詳しく伝へたのもので、琴御館家の祖先が、日吉の神の残された杖を立てたのが、化生したと言ふ(耀天記)伝へと直接関係があり、又、北野の一夜松原・息[#(ノ)]松原などの系をも加へてゐる。
四
此説経節の筋が、中心になつてゐる浄瑠璃・脚本・小説の類を調べて見る。わたしの読んで見、又名前だけを聞き知つてゐる物は、
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愛護若(角太夫の正本) 辛崎一本松(加賀門人富松薩摩正本) 愛護若都富士(元禄六年正月竹本座興行。辰松幸助作) 愛護若塒箱(紀海音) あいごのわか[#「あいごのわか」に白丸傍点](宝永五年正月・天満八太夫正本) 花館愛護桜(又、花館泰平愛護だともいふ。正徳三年四月。山村座) 愛護若名歌勝鬨[#「愛護若名歌勝鬨」に白丸傍点](宝暦三年五月。竹本座。半二・松洛等作) 信田小太郎世継鑑(宝暦三年七月。中村座助六狂言。評判記で愛護の糾ひまぜてあつた由が伺はれる) ※[#「子+盡」、309−1]《コダカラ》愛護曾我(宝暦五年正月。堀越二三治作か) 愛護若女筆始[#「愛護若女筆始」に白丸傍点](享保廿年正月。八文字舎本) 愛護若一代記[#「愛護若一代記」に白丸傍点](女筆始と同書。再刻。但、年月づけも、元のまゝ) あいごの若(享保廿年正月。金平本) 初冠愛子若(同七月―八月。大阪沢村長十郎座) 曾我|※[#「しめすへん+我」、309−3]《モヤウ》愛護若松(明和六年三月。増山金八作か) 神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝[#「神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝」に白丸傍点](文化五年。小枝繁作。読本)
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此外助六狂言の天明以前の物は、大抵愛護若が這入つて居るものと思はれる。また尚一種「○○○[#「○○○」に「?」の注記]愛護稚松」と言ふ、助六とは別種の芝居があつたと記憶して居る。圈点を附けた五種の外は、まだ見る事が出来ぬ。但、角太夫の正本と、薩摩太夫の辛崎一本松とは、後に出た説経の「あいごのわか」と大同小異のものであらうし、時代も亦説経節が後れて出たとは言はれぬ。譬ひ八太夫の正本は、成立こそ遅れたとは言へ、愛護浄瑠璃の魁をした物と想像する理由がある。
天満八太夫が江戸に来て繁昌する以前の、上方説経節としての愛護[#(ノ)]若が、正本成立以前に、既に角太夫や薩摩太夫に採り入れられてゐたらう、と考へるのは無理ではない。かの正本に、聴衆先刻御存知と言つた風の書きぶりが見えるのは、八太夫以前に拡つた愛護民譚と八太夫の浄瑠璃との距離を思はせるのであるが、尚他の浄瑠璃と比べては、原始的の匂ひを止めてゐたであらう。況して「都富士」や「塒箱」などは、説経現在本よりは、幾分か作意の進んでゐたもの、と考へられる。
江戸の助六狂言は、記録を信じる事が出来れば、一番初まりから愛護[#(ノ)]若をとり入れて居た。江戸の助六狂言の起原が、大阪の揚巻・助六心中にある事は明らかであるが、最初の「愛護桜」から和事専門でなく、今の物の様に荒事本位の喧嘩師助六だつた、と考へるのは誤りで、享保以前に出来たものと鑑定せられる、上野図書館本「揚巻助六狂言の記」と仮表題した黒本風の書物に見えた筋が、上方の揚巻・助六心中に近いだけ、助六狂言の本筋を伝へたものらしい。
此江戸助六狂言の根元の筋は訣らず、出場人物にも異論はあるが、揚巻・助六・白酒売新兵衛の出た事だけは、確からしい。「金《キン》の揮配《サイハイ》」に残つた鳥居画で見ると、たはたの介後に介六、白酒売新兵衛のちに荒木左衛門とあり、図面は屋根じあひ[#「じあひ」に傍点]の場で、軒に、江戸町いづみや・三丁目つたやなど言ふ高張提灯の見える処から考へても、場面は吉原である。介六と新兵衛とは、白酒荷の朸《あふご》と見える物に為込んだ刀の両端を引きあうてゐる。此は両人とも立役で、敵役の別にあるのを殺さう、と先を争ふ処か、或は一人がはやり、一人が制する処とも見られる。両人いづれも敵持ちでないことは、介六役者が団十郎で、白酒売りを生島新五郎が勤めたのでも知れる。両立役心を合せて、敵を討たうとするものと見れば、直ちに後の「由縁江戸桜」の五郎・十郎に変つて行く径路は頷かれる。
尤、第二回目の助六なる「式例和曾我」以下の物は、助六に、曾我なり、愛護なりが這入つて居るので、多くの場合、三つの筋が一つに絡んで居た様である。思ふに二回・三回頃のものは、曾我を含んで来たのが、段々元の愛護をも呼び戻して、雑居することになつたのであらう。「愛護桜」に、何で縁もゆかりもない愛護が割り込んで来たか。わたしは、正徳三年が江戸の山王日枝神社の記念とすべき年であつた、といふ様な理由があるのだらう、と想像せられる。
此狂言、伝へられた如く、仇討ち物とすれば、敵は誰を殺したのか。二条蔵人か。愛護か。後の※[#「子+盡」、311−1]愛護《コダカラアイゴ》の評判記の画で見ると、工藤とやはたの介――八幡三郎と田畑[#(ノ)]介と綟つたものか。工藤足軽八幡之介、実は、鬼王とある――が、愛護の君を桜木に吊り上げて、拷問して居る処がある。子役の持ち役として、愛護は、割合に閑却せられてゐたのかも知れぬ。或は愛護を殺した者を、梅若殺しの、忍の惣太風の細工[#(ノ)]小次郎として、後に髯[#(ノ)]意休|即《すなはち》えたと言ふ様な趣向で、臭い/\と言ふ助六の喝破の源流をなしたものかも知れぬ。
後の五郎の助六が、常に問題としてゐる友切丸は「愛護桜」では、刃《ヤイバ》の大刀《タチ》であつたものか。大阪出の古手屋八郎兵衛・紙屋治兵衛を銀猫おつま[#「おつま」に傍線]や、佃島心中などに捏ね上げ、其から逆に、古八・紙治迄も、江戸にも別に存在してゐた様に説く、通人考証家の多かつた江戸であるから、助六・意休などの類名のもでる[#「もでる」に傍線]実在説は、一切眉唾物である。
名歌勝鬨では、二条蔵人・古曾部庄司両家の確執、両家の宝を奪うて栄達を望む高階弾正、それに使はれる端敵、御嶽悪五郎があり、二条家の忠臣として田畑早苗之助、古曾部家の旧臣荒木左衛門がある。其外愛護の恋人古曾部の娘があり、其兄で同時に、妹の恋人なる人と二組のろめお[#「ろめお」に傍線]・ぢゆりえつと[#「ぢゆりえつと」に傍線]がある。
愛護の家に仕へる女に、大津坂本猿堂守りの娘、穴生生れの猿の扱ひ方を知つた常夜《トコヨ》と云ふ早苗之助の女房になる女がある。刃の大刀は二条家の宝物で、天の唐鞍は、古曾部家の重宝と、両家に分けてゐる。其外鞍打杢作などいふ人物もある。幾分細工の穴を示す者であらう。
常夜の親里穴生に、早苗之助・常夜が住んで、早苗が帥[#(ノ)]阿闍梨を訪ねて叡山に登つた後に、愛護が桃を盗んだとて追うて来るのが、小兵衛・九助といふ百姓になつて居る。常夜は、此を助ける為に、狐憑きの身ぶりで、
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指もさゝば怨み葛の葉、今にしのだに怨みの言葉。小兵衛聞け。麻は蒔くとも苧《ヲ》になるな。穴生の里の九助怨し。……桃故命捨つるかや。我は死すとも、此桃の花は咲くとも、実はなるな。穴生の里のあらむ限りは、と怨み喞ちし言の葉の木にも心のあるならむ。
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とある。其外、手白の猿を、恋人から若に贈る件、辛崎の松で、愛護が危難を救はれる件などが、原型を引いてゐる様である。
「愛護曾我」は、前者よりは、恐らく古いものらしい。名の示す如く、愛護桜から由縁江戸桜の方に踏み込んだものと思はれる。享保廿年正月に、同時に三種の愛護の物語が出て居るが、金平本の愛護は、恐らくもつと以前の刊行を、早稲田図書館の書目作りが思ひ違へたのではあるまいか。一代記の方は、全く八文字舎本の飜刻で、年号は享保廿年正月とはなつて居るが、恐らくずつと遅れたものであらう。
「女筆始」は「鳴雷不動桜」などを出した、八文字舎のことだから、愛護の脚本・小説類の綜合・飜案の痕を露に見せてゐる。其序に
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衆人愛護若の噂、昔から世挙つて引三味線の調子に乗つて来る馬に唐鞍箱に納る刃の大刀に血ぬらずして、悪人追退伝る家の内柱は、ずつしり据《スワ》つて動かぬ一つ松。志賀のよい花園昔を今に語り伝へて五説経の其一を取つて、新に狂言を五冊に綴め云々。
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と見えて居るが、説経節以後の形式をも混へた上の作り物である。而も江戸の助六の影響のあるなしは、俄に判断し難い。但、田畑之助が、大道寺の姓を持つてゐるのは、或は愛護桜に、暗示を得てゐるのかも知れない。
此書は後の愛護民譚に変化を与へる榜示となつてゐる様であるから、少しく詳しく説いて見る。二条家の宝物は、刃の大刀・降天の唐鞍の外に、真の鞭といふのがある。后の御悩が、嵯峨帝の御不例といふ事になつてゐる。継母は桜井御前といふ名で、藤原仲成の妹、二条家には再縁で、流離の際に人に托した小松姫といふ子がある。家来には、家老として荒木左衛門尉、執権職を罷めて、江州穴生に居る大道寺田畑之助及び其妻のふぢ[#「ふぢ」に傍線]、二人の間に生れた長子手白の猿、継母の腹心|太岳《ミタケ》悪五郎、旧臣の遺孤おふで[#「おふで」に傍線]などの人物がある。おふで[#「おふで」に傍線]が、お家の危急を知つて自ら小松姫と名のつて、二条家に入り込んで、愛護を助け、二つの宝を悪人の手に渡さなかつた、といふ話は、遠からずして表れた「ひらがな盛衰記」の烈婦おふで[#「おふで」に傍線]の導火である。
田畑之助は若君に、お家の危急を知らせる為に、女房をして、長子の手白を舞はせるが、名歌勝鬨第一段松枝・常夜の猿使ひの段の敷き写しである。又、柴屋町の揚げ屋で、荒木左衛門と巡り会うて
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