争ふのは、或は「愛護桜」の影響ではあるまいか。遊女花園が秘蔵する真の鞭は、おもふに、四の宮の祭りに、一の鳥居に建てる「真の榊」の変形であらう。愛護が家を逃れる場合に、縄を喰ひ切りに出る鼬は、説経の母の霊を持つて来たのである。穴生の乳母は熊手婆で、盲目娘の実は、小松姫と共に住んでゐる。愛護が其家の桃を喰うて、麻畑に隠れる件も其儘である。
愛護が辛崎の浜でついて来た松の枝を挿す件は、説経を乗り越えて、直ちに、日吉の縁起に迫つてゐる。其時の「うけひ言」には
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松も一本、葉も一つ、都の方へ根もさゝず、志賀辛崎の一つ松、愛護がしるしとなし給へ。
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とある。そして、其松の木に小袖を掛けて、湖水に身を投げる。細工[#(ノ)]小次郎に当るものは、此には、関寺半内となつてゐる。愛護を追うて、身投げするのは、説経の百八人の代表である。
「神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝」は、非常に読本臭くなる。桜井御前が愛護に懸想する事は、説経の儘である。手白と愛護との接触が、鷲にさらはれる猿を救うたときから始まつて、猿の親子揃うて人間に化けて、若に恩返しをする。「女筆始」の田畑之助の役は、仲麻呂・桜井御前の子を守る秦[#(ノ)]黒道と言ふのになつて居る。鞍・大刀は、綾丸の大刀・遠山の鏡と名が変つて、烈婦小松が志賀六(黒道)を殺して、奪ひとつて、二条家に献じた宝と言ふ事になつてゐる。
右の中「名歌勝鬨」は、かなり名高い浄瑠璃で、役[#(ノ)]行者・弘法大師の母並びに、苅萱を採り入れた「山の段」だけは、いまでも稀には、語られる。瑠璃天狗にも道行きと此段とが、註釈せられてゐるのを見ても、愚作の割には、喜ばれてゐたのである。芝居の鬘にあいご[#「あいご」に傍線]と言ふのがあるのは、此辺から出たものと思はれるが「※[#「子+盡」、314−14]愛護曾我」の評判記の挿し画の愛護は、所謂あいご[#「あいご」に傍線]の児輪《チゴワ》(歌舞妓事始)に結うてゐるが、説経正本・一代記・神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝、皆児茶筅である。
近江輿地誌略の出来た時分の愛護民譚は、説経以前の古い形式をも存してゐたと共に、其後に作意・脚色を加へられた物語をも、雑多にとり込んでゐたに違ひなく、其だけ錯綜を極めた物語から、一筋の通りのよい物語を抽き出さうとするのは、困難であつたらう。其為「長物語」以前と以後のあまたの要素を顧みず、一向、野人の信仰の淫雑なことを嗟《なげ》いたが、寒川氏の想像したよりも、かなり古く、而も若い物語なのだ。
不遇の生を終へた愛護は、怨み言を書き残すだけの執念もありながら、現に転生した。本地物語の出現は、御霊信仰の稍《やや》力を失ひはじめた頃からの事である。貴種流離民譚が、児个淵民譚と結びつき、其に、山王祭りのくさ/″\の由緒をとり込んで、一つの民譚に固成したのは、継子虐待物語・児物語・本地物語の地盤が定つて、何拾人・何百人の追ひ腹を家門の誉れと考へた時代のことであらう。
百八人の殉死が、あいご[#「あいご」に傍線]民譚の固定の時代だけは、尠くとも「長物語」よりも新しいことを示してゐるのである。一人の美少を中心にして、近間《チカマ》に肩を並べた、二つの大寺の間に、闘諍事件が起つて、何百人の侍法師《サムラヒボフシ》の屍を晒した物語は、外にも、其例がある。長物語の梅若は、多人数の犠牲を拵へたのであるが、若の方では、百八人の殉死と言ふ特殊の意味を持つた犠牲と言ふことに変つて来てゐる。此は必、山門・寺門の長い争ひの歴史が、此恋愛問題に関係のない、美少の物語の上に、多人数が仏果を得る物語と、姿を換へて復活したのである。酸鼻な物語が、光明ある功徳譚と変つた点に、長物語との関係があると言へば、あると考へる余地もある訣であるが、此だけでは、単に傍証となるばかりで、愛護・梅若は、尚姑らく胤一つの兄弟なることを言立《コトタ》てる訣には行かぬ。
穴生は穴太[#(ノ)]臣・穴生村主の旧貫である。穴太部又は、穴穂(安康)天皇との関係が考へられるかも知れぬ。さすれば、穴穂天皇を従父とした億計《オケ》・弘計《ヲケ》王の流離譚が都から西へとなつて伝へられてゐるとしても、尚、蒲生郡の蚊屋野が、二王子のさすらひに大きな関係のある処から見ると、穴穂天皇(二王子)蚊屋野を通して、此穴生の地が、貴人流離譚と無関係の土地でもなさゝうな気がする。
右の想像と似た今一つの想像が、古い語りの姿を髣髴せしめる。其は穴太部の語りが、果実を呪咀した貴人の物語を語り伝へてゐたのではなからうか、といふことである。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「土俗と伝説 第一巻第一―三号」
   1918(大正7年)8月〜10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本では訓点送り仮名は本文中に小書き右寄せになっています。
※底本の題名の下に書かれている「大正七年八―十月「土俗と伝説」第一巻第一―三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※底本の凡例には、「校訂者のつけた振り仮名は平仮名を用いた」との記載がある。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2004年1月22日作成
2004年1月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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