愛護若
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)読本《ヨミホン》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)又|稚《ワカ》とも
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《ヤ》き栗
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)愛護《アイゴ》[#(ノ)]若《ワカ》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
若の字、又|稚《ワカ》とも書く。此伝説は、五説経の一つ(この浄瑠璃を入れぬ数へ方もある)として喧伝せられてから、義太夫・脚本・読本《ヨミホン》の類に取り込まれた為に、名高くなつたものであらうが、あまりに末拡がりにすぎて、素朴な形は考へ難くなつてゐる。併し、最流行の先がけをした説経節の伝へてゐるものが、一番原始に近い形と見て差支へなからう。
何故ならば、説経太夫の受領は、江州高観音|近松寺《ごんしようじ》から出され、四の宮明神の祭礼には、近国の説経師が、関の清水に集つた(近江輿地誌略)と言ふから、唐崎の松を中心に、日吉・膳所を取り入れた語り物の、此等の人々の為に綴られた物と言ふ想像は、さのみ無理ではあるまい。今其伝本が極めて乏しいから、此処には、わりあひに委しい梗概を書く。
嵯峨天皇の御代に、二条の蔵人前の左大臣清平といふ人があつた。御台所は、一条の関白宗嗣の女で、二人の仲には、子が無かつた。重代の重宝に、刃《ヤイバ》の大刀《タチ》・唐鞍《カラクラ》(家のゆづり、やいばの大刀。からくら。天よりふりたる宝にて)の二つがあつた。第六天の魔王の祟りで、女院御悩があつたが、天子自ら二才の馬に唐鞍を置き、刃の大刀を佩いて、紫宸殿に行幸せられると、魔王は、霊宝の威徳によつて、即座に退散して、御悩|忽《たちまち》平癒した。天子御感深く、その他の家々にも名宝があらうと思はれて、宝比べを催されたところ、六条判官行重は上覧に供へるべき宝が無くて、面皮をかいて居たのを、清平が辱しめて、退座を強ひる。
判官には、五人の男子があつて、嫡子をよしなが[#「よしなが」に傍線]といふ。家に戻つて今日の恥辱の模様を話すと、よしなが[#「よしなが」に傍線]が父に讐討ちの法を教へる。其は、子はどんな宝も及ばない宝である。幸、二条蔵人には子が無いから、奏上して、子比べをして、恥をかゝせようと言ふのである。子福者の行重は、非常な面目を施した。御感のあまりよしなが[#「よしなが」に傍線]に、越後守を受領せしめられた。
清平は、今度は、あべこべに辱しめられて、家に帰つて、御台所と相談して、初瀬《ハセ》寺の観音に、申し子を乞ふ事になる。七日の満願の日に、夫婦の夢に、菩薩が現れて、子の無い宿因があるのだから、授ける事は出来ない。断念して帰れ、と告げさせられる。夫婦は、さらに三日の祈願を籠めて、一向《ひたすら》納受を願ふと、一子は授けてやるが、三つになつた年に、父母のどちらかゞ死なゝければならぬと言ふのである(一段目)。
六条判官は、尚恨が霽れぬ上、相手が初瀬寺に参籠して、何か密事を祈願して居ると言ふ事を聞いて、家来竹田の太郎及びよしなが[#「よしなが」に傍線]と共に、桂川に邀へ撃たうとする。二条家には、荒木左衛門といふ家来がある。主人夫婦に従うて、初瀬寺からの帰り途、桂川で現れた伏せ勢と争うて居る処へ、南都のとつかう[#「とつかう」に傍線](東光か)坊が通りかゝつて、仲裁する(二段目)。
北の方は玉の様な愛護《アイゴ》[#(ノ)]若《ワカ》を生む。誓約の三年は過ぎて、若十三歳になる。約束の期は夙に過ぎた。命を召されぬ事を思ふと、神仏にも偽りがある。だから、人間たるおまへも其心して、嘘をつくべき時には、つく必要があるといふやうな事を訓へる。初瀬観音聞しめして、怒つて御台所の命をとる為に、やまふのみさき[#「やまふのみさき」に傍線]の綱を切つて遣はされたので、若はとう/\、母を失ふことゝなつた。
左衛門並びに親類の者が、蔵人の独身を憂へて、八条殿の姫宮雲井[#(ノ)]前を後添ひとした。愛護は、父の再婚の由を聞いて、持仏堂に籠つて、母の霊を慰めてゐる。あまり気が鬱するので、庭の花園山に登つて、手飼の猿、手白(てじろ)を相手に慰んでゐる姿を隙見した継母は、自分の子とも知らず、恋に陥る。侍女|月小夜《ツキサヨ》を語らうて、一日に七度迄も、懸想文を送る。若は果は困じて、簾中に隠れてしまふ。
二人の女は、愛護が父蔵人に此由を告げはすまいかといふ懸念から、逆に若を陥れる謀を用ゐる事になる。それは、重宝の鞍・刀を盗み
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