形容詞と動詞とにわかれて居なかつた時代から、ある過程を経た今日のありさまでみれば、なるほど、非常にちがつたものゝ様にも思はれよう。けれど、一元渾沌の時代を推論し得る者には、さのみ、むつかしい問題ではない、といふかも知れぬ。自分は、形容詞動詞一元論を、否定せう、とは思はぬが、尠くとも、わかしとおゆとについては、愚見を陳述する必要を認める。
前に、わか・しとお・ゆとは、しつくりと、むかひあうては居らぬというたが、これはさま[#「さま」に傍点]とわざ[#「わざ」に傍点]とのちがひばかりではない。お・ゆに対しては、わか・ゆといふことばが、古く、見えて居る。
わか・しのわか[#「わか」に傍線]が、生得の体言であるか、否かは問題であるが、自分は、これはある種類の用言からほかの種類の用言にうつらうとする際に、一時的に体言となつたものであらうと思ふ。
久活・志久活を通じて、形容詞の語根は、多く、ほかの体言なり、用言なりから転じたものゝ多いことは、事実である。自分の考から見ると、高《タカ》・深《フカ》・浅《アサ》・優《ヤサ》・近《チカ》の様なものも、ある用言からほかの用言に転じる際に出来た、一時的の体言
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