楽舞の重要な部分になつた「中門口《チユウモングチ》」の所作が出来たのと、根を一つにした「おとづれる神」の変形なのである。
「おとづれる」「おとなふ」と言ふ語は、元は音を立てると言ふ義であつた。其が訪問するの意を経て、音信すると意義分化をして来た。音を立てるが訪問するとなつたのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]なる神が叩く戸の音にばかり聯想が偏倚した為で、まれびと[#「まれびと」に傍線]のする「おとづれ」が常に繰り返されたのに由るのである。神の「ほと/\」と戸に「おとなふ」響きを聞いた村の生活からひき続いて、「まれびと」に随伴して用ゐられ、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言へば、「おとなふ」「おとづる」を聯想する所から、意義分化をしたのだ。節分の夜・大晦日の夜に、門の戸を叩く者のある事は、古今に例が多い。而も、地方によつては、「ほと/\」と言ふ戸を叩く声色を使ふ者が来る。何の為にさうするか、訣も知らずに唯田舎の生活に「志をり」を与へるだけの役にしか立つて居ないけれども、やはりまれびと[#「まれびと」に傍線]が人間化したものなのだ。村の神の信仰を維持して行く若い衆連のする事である。村の
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