そぐはない事は、今の人にも納得出来よう。けれども、遠人或は、久しぶりの来訪に対して誇張を持つて表現した事を心づかないで来た。
実はまれびと[#「まれびと」に傍線]は人に言ふ語ではなかつた。神に疎くなるに連れて、おとづれ来る神に用ゐたものが、転用せられて来たのであつた。けれども、単純に来客に阿るからの言ひ表しでなく、神と考へられたものが人になり替つて来た為に、神に言ふまれびと[#「まれびと」に傍線]を、人の上にも移して称へたのが、更に古く、敬意の表現に傾いたのは、其が尚一層変化した時代の事であつた。
我々の古代の村の生活に、身分の高い者が、低い境涯の人をおとづれる必要は起らなかつたのである。旅をして一時の宿りを村屋に求めた例は、記・紀・風土記に、古代の事として記録した物語に見えても、平時はさうした必要はなかつた。又、村々の生活に於いて、他郷の人の来訪は、悪まれ恐れられて居た。おなじ村に於いて、賓客と言はれる種類の人は、来る訣はなかつたのである。賓客・珍客の用語例に正確に這入つて来た後期王朝にも、誇張が重なつて、高い身分の人の来訪は、こと/″\しい儀式を張らねばならぬあり様であつた。其は、
前へ
次へ
全14ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング