神を祭る夜に忍び男の来る事かと言ふのである。が此とて、実情でなく、さうした境遇に切ない情を抱く女を空想した一種の叙事的な民謡で、純な抒情詩ではない。而も、明らかに戸を押ぶる者は、まれびと[#「まれびと」に傍線]の変形であり、その愛しきと言ふのも、おとづれる神を恋愛にうつして歌うたものと見るべきである。家々に宿るまれびと[#「まれびと」に傍線]の為に、其に仕へる家の処女又は主婦一人残つて、皆家を出て居る。まれびと[#「まれびと」に傍線]の為にする物忌みが一転して、まれびと[#「まれびと」に傍線]と母神とを別々に考へる様な形をとるのである。而も、東歌が恋愛の境地に入れてゐるのは、此夜家々に泊るまれびとに一夜夫《ヒトヨヅマ》としての待遇をする事があつた為であらう。一夜づまは決して遊女ではない。「我が門に、千鳥|頻《シバ》鳴く。起きよ/\。わが一夜づま。人に知らゆな(万葉)」の我が門とあるのは、家の処女か主婦の位置を示すものである。信仰上ある一夜のみ許されたまれびと[#「まれびと」に傍線]の宿りが、まれびと[#「まれびと」に傍線]を人と知つた時代にも続いてゐた為に、一夜づまと言ふ語が出来たのであらう。此は神としての待遇の引き続きが、神の代理者なる人にも持ち越され、神の分子を認めて居たからである。
まれびと[#「まれびと」に傍線]が神でなくなつた後期王朝にも、賓客に屡《しばしば》その家の娘・主婦を添ひ臥しに進めた例がある。村々に来り臨むまれびと[#「まれびと」に傍線]の待遇法が、貴人に対しても行はれたので、貴人を神と同格に見た。



底本:「折口信夫全集 4」中央公論社
   1995(平成7)年5月10日初版発行
※底本の題名の下には、「草稿」の表記があります。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年10月31日作成
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