まれびとの歴史
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)飜《うつ》して

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|歳徳神《トシトクジン》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)まれびと[#「まれびと」に傍線]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)播磨国賀毛郡河内[#(ノ)]里

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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こゝに一例をとつて、われ/\の国の、村の生活・家の生活のつきとめられる限りの古い形の幾分の俤を描くと共に、日本文学発生の姿をとり出して見たいと思ふ。私は、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言ふ語及び、その風習の展開をのべて見る。
普通われ/\の古代・王朝など言うて居る時代のまれびと[#「まれびと」に傍線]なる語が、今日の「お客」或は敬意を含んで、「賓客」など言ふ語に飜《うつ》して、果してかつきりとあてはまるであらうか。雑作もない隣近所の村人の這入つて来るのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言ふだけの内容にそぐはない事は、今の人にも納得出来よう。けれども、遠人或は、久しぶりの来訪に対して誇張を持つて表現した事を心づかないで来た。
実はまれびと[#「まれびと」に傍線]は人に言ふ語ではなかつた。神に疎くなるに連れて、おとづれ来る神に用ゐたものが、転用せられて来たのであつた。けれども、単純に来客に阿るからの言ひ表しでなく、神と考へられたものが人になり替つて来た為に、神に言ふまれびと[#「まれびと」に傍線]を、人の上にも移して称へたのが、更に古く、敬意の表現に傾いたのは、其が尚一層変化した時代の事であつた。
我々の古代の村の生活に、身分の高い者が、低い境涯の人をおとづれる必要は起らなかつたのである。旅をして一時の宿りを村屋に求めた例は、記・紀・風土記に、古代の事として記録した物語に見えても、平時はさうした必要はなかつた。又、村々の生活に於いて、他郷の人の来訪は、悪まれ恐れられて居た。おなじ村に於いて、賓客と言はれる種類の人は、来る訣はなかつたのである。賓客・珍客の用語例に正確に這入つて来た後期王朝にも、誇張が重なつて、高い身分の人の来訪は、こと/″\しい儀式を張らねばならぬあり様であつた。其は、階級が一つ違うても、真に「稀人」の感じを持つだけの歓迎をした事でも知れる。
ある種類のまれびと[#「まれびと」に傍線]以外には、人の家を訪ふ事は、其家のあるじ[#「あるじ」に傍線]を拝する事になつたからである。天子、功臣の家に望まれる様な事は、奈良の世にもあるが、其は外戚として親等が高い場合か、おとづれる神即まれびとの資格を以て臨まれたかである。幾分、天子神秘観がへつたところへ、支那風の臣屋臨御の風を知つて、自由な気分が兆して居た為もあらう。其が権臣の第宅の宴会へのみゆきであつた場合は、明らかに神の資格でおとづれた古風なのである。だから、空漠たる天子或は、貴種の人の民間に流離し、又一宿を村家に求めたなど言ふ民譚は、神の物語の人間に飜訳せられたに過ぎないのである。
貴人が、臣の家に臨むを迎へる為と見える饗宴は、実は中間に饗宴を行ふ条件として、珍客を横座に据ゑる必要の心に持たれてゐた時代を経てゐるのである。さうして、初の姿に還つて、迎へる為の宴と考へられる様になつたのだが、本意は既に変じてゐた。おとづれる神としての考へは、すつかりなくなつた。真に賓客としての待遇法が具つて来た。武家の形づくつた中世には、貴人と豪家との間に、主従関係の睦しさから、殆対等な家の中の一つの家長が、覇者となつた。その以前の心持ちの引き続きから、気軽に御成りを願ふ事が出来る様になつた。其と共に、主君と一処に、家人のなり上つた家などは、深い睦しさから招かれも迎へもしたであらう。かう言ふ人間としての親しみが、客人待遇法を変へもし、原義を夙く忘れさせたのである。だが、尚「客人観念」の中に、俤も見えなくなつた饗宴に、少々は一等古い――神をまれびと[#「まれびと」に傍線]と観じた――時代のなごりを留めてゐる。
今も使ふ婚礼の島台や、利用の広い「三方」「四方」の武家時代の饗宴類似のをり毎に、必、据ゑられたもので、食ひ物の真中に必松の心などを挿して居る。隅田の船遊びに、さうした島台を船の中に飾つた図のあるのも、饗宴の風習から酒席・遊楽の座には、欠かれぬものと考へられた為である。島台が洲浜と呼ばれて、今の様な形に固定しない後期王朝頃から、宴席の中心となつてゐた事は、疑ひもない。而も其上の飾り物は、神を迎へる標《シルシ》の作り物である。食物の中に立てた松の心《シン》も、単純なつま[#「つま」に傍点]ではなかつた。標
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