りかねる風習がある。其中、大饗或は、饗宴と称へる宴会も、私には問題になる。公卿の饗宴を行ふ第一の条件は、正客を択んで其人に臨席を請ふ事である。此人をさして、後期王朝以後尊者と言ひ馴れて来た。尊者は、寿福徳を具へた官位の高い人の意だと説明して居る。此は疑ひなく誤りである。文明的な行事はすべて支那伝来と考へ易い学者の思ひ及ばなかつたことで、此風は決して、先進国の模倣でなかつた。まれびと[#「まれびと」に傍線]なる語が、来客を珍重する気分を深く持つて来た時代に、おとづれ来る神なる人を表す為に、新しく出来た語である。尊者は、まれびと[#「まれびと」に傍線]の直訳なのだ。殊に目につく尊者は、大臣大饗の場合である。新任の大臣の上席の大臣は、尊者として迎へられる。尊者として其家に臨む儀式は、順ぐりに先例となつて行はれるもの故、厳重に注目せられた様である。此方式の中、大切な部分は「門入り」の様子である。他の饗宴の場合にも、尊者の一行には必「門入り」の儀が、重くとり扱はれて居た事と思はれる。而も平安朝の人々の感情には、既にしつくりせない生活の古典であつたのである。この門入りこそは、延年舞に既にあつて、田楽舞の重要な部分になつた「中門口《チユウモングチ》」の所作が出来たのと、根を一つにした「おとづれる神」の変形なのである。
「おとづれる」「おとなふ」と言ふ語は、元は音を立てると言ふ義であつた。其が訪問するの意を経て、音信すると意義分化をして来た。音を立てるが訪問するとなつたのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]なる神が叩く戸の音にばかり聯想が偏倚した為で、まれびと[#「まれびと」に傍線]のする「おとづれ」が常に繰り返されたのに由るのである。神の「ほと/\」と戸に「おとなふ」響きを聞いた村の生活からひき続いて、「まれびと」に随伴して用ゐられ、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言へば、「おとなふ」「おとづる」を聯想する所から、意義分化をしたのだ。節分の夜・大晦日の夜に、門の戸を叩く者のある事は、古今に例が多い。而も、地方によつては、「ほと/\」と言ふ戸を叩く声色を使ふ者が来る。何の為にさうするか、訣も知らずに唯田舎の生活に「志をり」を与へるだけの役にしか立つて居ないけれども、やはりまれびと[#「まれびと」に傍線]が人間化したものなのだ。村の神の信仰を維持して行く若い衆連のする事である。村の
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