も思ひつく的《マト》の方面から、探りをおろして見る必要があらう。
的《マト》と言ふ語は、いくは[#「いくは」に傍線]などゝは違うて、古くは独り立ちするよりも、熟語となつて表現能力が全う出来た様である。又、近代でも、必しもまとお[#「まとお」に傍線]と言ふ形を、長音化する方言的のもの、と言ひきつても了はれぬ様である。尠くとも、的・的居《マトヰ》は一つで、其的居の筋を引いた物が、戦場に持ち出したまとい[#「まとい」に傍線]である、と言ふ仮説だけは立ち相である。けれども、纏屋次郎左衛門から、六十四組の町火消しに供給した的と謂はゞ言はるべき、形の上の要素を多く具へた、馬簾《バレン》つき、白塗り多面体の印をつけた、新しい物を考へに置いてかゝる事だけは、控へねばならぬ。
徳川氏が天下をとつた時分が、まとい[#「まとい」に傍線]の衰へ初めと考へても、大した間違ひは無さ相である。「武器短歌図考」を見ると、だし[#「だし」に傍線](竿頭の飾り)に切裂き・小馬簾をつけ、竿止め[#「竿止め」に傍線]に菊綴ぢ風に見える梵天様の物をつけたのが円居で、蝉口に吹き流しをつけたのを馬印《ウマジルシ》としてゐるが、事実
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