幣或は偶人である。此も秋祭りと入り紊れてゐるが、順序正しく言へば、夏のものである。
祇園の鉾は、山鉾と一口に言ふが、大別してやま[#「やま」に傍線]とほこ[#「ほこ」に傍線]との二つの系統がある。そして山の方は、寧、秋祭りに曳くべき物であつた。祇園会成立に深く絡んだ御霊会《ゴリヤウヱ》の立て物に、宮廷の大嘗の曳き物「標山」の形をとりこんだのであつた。
平安朝の初頭から見える事実は、まつり[#「まつり」に傍線]の用語例に、奏楽・演舞を条件に加へて来てゐるのである。其程、祭礼と楽舞との関係が離されなくなつた。だから後には、まつる[#「まつる」に傍線]とあそぶ[#「あそぶ」に傍線]とが同じ意義に使はれる事もあつた。とにかく、夏祭りのまつり[#「まつり」に傍線]と言はれる様になつたのは、夏神楽の発達から来てゐる。尚一面、祇園会が祭りの一つの型と見られる様になつた事実も一つの原因である。
神楽は、鎮魂祭のつき物で、古い形を考へると、大祓式の一部でもあつた。其が、冬を本義とする処から、夏演奏する神楽と言ふ意を見せて、新しい発生なる事を示したのである。祓へや禊ぎは、鎮魂の前提と見るべきであつた。夏祓
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