はじまり、徳政が宣せられたりもした。後世の因明論理や儒者の常識を超越した社会現象は、皆、此即位又は元旦の詔旨(のりと[#「のりと」に傍線]の本体)の宣《ノ》り直《ナホ》す、と言ふ威力の信仰に基いてゐるのだ。
秋と言へば、七・八・九の三月中とする考へが、暦法採用以後、段々、養はれて来たが、十一月の新嘗の初穂を、頒けて上げようと言ふ風神との約束に「今年の秋《アキ》[#(ノ)]祭《マツ》りに奉らむ……」と言つた用例を残してゐる。此祝詞は、奈良朝製作の部分が、まだ多く壊れないでゐるものと思へる。すると、秋祭りは刈り上げの祭りと言ふことになる。六月(月次祭)でも、九月(神嘗祭り)でも当らないから、此あき[#「あき」に傍線]は、暦利用以前の秋に違ひなく、田為事の終る時期を斥す語であらう。新嘗・市・交易・饗宴、かうした事実が、此語を中心にして聯絡を持つてゐるのは、あき[#「あき」に傍線]が刈り上げの祭りの期間を表すこともあつたらしく思はせる。私は、仮説として、条件つきの立願をねぐ[#「ねぐ」に傍線]、願果しをあく[#「あく」に傍線]と言うたのではないかと考へてゐる。「秋祭りに奉らむ……」とあるのは「刈り上げの折のまつり」と言ふだけの事で、今の秋祭りに対しては、稍自由である。そして、こゝのまつり[#「まつり」に傍線]と言ふ語も、唯の祭典の義ではないらしい。
祭りの用語例は、二つあげたが、此は亦違つて、献上するの義である。たてまつる[#「たてまつる」に傍線]・おきまつる[#「おきまつる」に傍線](奠)などのまつる[#「まつる」に傍線]で、神・霊に食物・着物其他をさしあげる事を表してゐる。先師三矢重松博士は、此「献《マツ》る」を「祭る」の語原とする説を強められた。まづ今までゞのまつり[#「まつり」に傍線]の語原論では、最上位のものである。師説を牾《モド》く様で、気術ないが、私はも少し先がある、と考へてゐる。
三
新嘗の意味の秋祭りの外に、秋に多い信仰行事は、相撲であり、水神祭りであり、魂祭りである。秋の初めから、九月の末に祭りを行ふ様な処までも、社々で、童相撲・若衆相撲などを催す。それは、宮廷の相撲|節会《セチヱ》が七月だから、其を民間で模倣したと言ふことも出来ぬ。此を農村どうしの年占或は、作物競争と見る人もあらう。だが其よりも、不思議に、水神に関係してゐる事である。野見
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