すべてさうした風を輸入する時には、何か其処に結合する点がなくては出来ないのだから、全然、此風を輸入だ、とは解せられない。踏歌は、もと歌垣のなごりで、年の始めのほかひ[#「ほかひ」に傍線]の意味のあつたものが支那化したのである。顔を隠すのは、常世神が村々を訪れた時と同じく、神だから隠してゐるのである。
また栄華物語若枝の巻、枇杷殿大饗応の条に「御霊会の細男手拭して、顔を隠したる心持ちする」とある。細男はさいのを[#「さいのを」に傍線]で、朝廷では人がなり、八幡系統のものには人形であつた。御霊会には、真の人間が扮装して出たのであらう。顔を隠すのと、頭に被るのとは、かうした関係があるのだが、も少し辿つて行つて見よう。

     三

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はね蘰《カヅラ》今する妹をうら若み、いざ、率《イザ》川の音のさやけさ(万葉集巻七)
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を始め、万葉集には其他に三首、はねかづら[#「はねかづら」に傍線]を詠みこんだ歌があるが、皆、性欲的な歌ばかりである。恐らく、女の元服の時に、はねかづら[#「はねかづら」に傍線]を為たものに相違ないが、どう言ふものであつたか訣ら
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