ゐる。外から災を与へる霊魂をもの[#「もの」に傍線]と言ひ、鬼《オニ》は此である。平安朝時代には、鬼のことを「もの」と言うてゐる。自分の霊魂は「たま」である。随つて物部は、外から災する恐しい力を持つた霊魂を、追ひやる部曲と解するのが、本義であらう。
武士のするはちまき[#「はちまき」に傍線]には種々あつて、即、後で立てるもの、前で立てるもの、狂言に出る町の女房などのするもの等、此等は皆、兜を被る時、下に著けるものと同じで、時には烏帽子を被ることもある。はちまき[#「はちまき」に傍線]と烏帽子とは、実は同じもので、戦争に出る人の物忌みの標だつたのである。物忌みをして、敵の持つ力を拒ぐのである。今も片田舎に行くと、お客の前でわざ/\手拭ひを被ることをする地方がある。賓客を神として扱ふ遺風で、此例は沢山ある。
おび[#「おび」に傍線]と、かづら[#「かづら」に傍線]と、手拭ひとは、結局一つである。現に、泉州から曾て私の家に来てゐた若者は、帯のことを帽子と言うてゐた。女は、臨時の物忌みの標に、三尺の布巾を腰に結び、頭に結んだので、帯であると倶に、手拭ひであつたのだ。手拭ひがはちまき[#「はちまき」に傍線]になるのも、不思議はないのである。次に、帯は結んでゐるのが本体か、常はせないのが本体か、即、かづら[#「かづら」に傍線]の類か、領巾の類か、と言ふ事は考へなくてはならぬが、領巾は木綿《ユフ》から出発してゐて、此を纏きつけるところから、かづら[#「かづら」に傍線]と同じ効果を現すもの、と考へてよからうと思ふ。二つの系統の習慣が、一つの帯・手拭ひ・帽子と結びついて、近世の如くに、物忌みの標が更に訣らないところまで進んだのである。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店
   1930(昭和5)年6月20日
初出:「考古学会例会講演」
   1926(大正15)年6月
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年六月、考古学会例会講演筆記」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2007年4月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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