、横に寝さして組むので、組みあがると、引き綱とつっかひ棒とで起すのである。本祭りの日には、宮の前の大道に縦列を作つて、勢揃へをする。かう言ふ時に、とりわけ喧嘩が多かつた。
だいがく[#「だいがく」に傍線]を動すのは、音頭と太鼓の拍子とである。唄の文句には、別に特有の物はない。此は、此たて物が近世に出来た物だと言ふ事を示してゐるのである。
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大阪《オサカ》出てから、はや、玉造。笠を買|ふ《ウ》なら、深江が名所
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などが、記憶に止つてゐる。其外は「春は花咲く青山辺で、鈴木主水と云ふ士は」などいふやんれぶし[#「やんれぶし」に傍線]の文句を使うた様である。音頭とりは、太鼓打ちや、子どもらと、※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]の上に乗つて居て、ゆり[#「ゆり」に傍線]甲《カン》と言つた調子で謡ふ。譬へば「大阪はなれてはや玉造」まで謡ふと、総勢が舁き棒から肩をはづして、
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よゝい/\よい/\よい。そこぢやいな/\。あどっこい、どっこいとお なよい/\。よいさ/\/\
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と合唱して「なよい/\」まで来ると、皆手を拍つて肩を入れて舁き出す。「よいさ/\」は舁きながら言ふことになる。舁きはじめると、又「笠を買ふなら、深江が名所」と謡ふ。此句ぎれ迄来ると、又囃しがはじまる。かうして、繰りかへし/\する中に、かなりの距離を動くのである。
たて棒[#「たて棒」に傍線]は、引き綱で、廻すことが出来る様になつてゐたが、何にしろ非常な重みだから、さう自由にはならなかつた。夜は燈を入れて舁いた。其ゆさ/\と揺れて行く様は、村人の血を湧き立たせたものである。
電信の針金が、引かれてからは、舁いて廻る範囲を狭められたが、其でも祭り毎には、必舁き出した。併し、木津の家並みの処では、許されぬ事になつて、処をはづれた野原などに立てゝ、長さ一町位の広場を往来するだけ位で、辛棒してゐた。
とう/\、松の宮の境内に、絵馬堂を拵へるといふ事で、竪棒を切つて、其柱にしてからは、祭りが来ても、だいがく[#「だいがく」に傍線]は出なくなつた。天幕其他、未練の種になる物はすべて売り払はれて、揃へのゆかた[#「ゆかた」に傍線]の若者どもが、右往左往に入り乱れる喧嘩沙汰も痕を絶つことになつた。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「土俗と伝説 第一巻第一・三号」
   1918(大正7)年8、10月
※底本の題名の下に書かれている「大正七年八・十月「土俗と伝説」第一巻第一・三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※校訂者注は除きました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2007年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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