下の方のは大分小さい。第一図の如く、蛇の目傘の様な形で、外囲りは藍紙、中囲りは赤紙、内廻りは亦藍紙を張つてゐる。外囲りの藍紙は、内の紙の倍の長さに作る。骨は竹である。日向国児湯郡|三納《ミノ》の盆踊りの中に立てる花傘の紙花を「ひ」と言ふのも、名称上の関係があり相に思はれる。西鶴の「諸国ばなし大下馬」に見えた紀州の掛作観音の貸し傘が、肥後の奥山家に飛んで、古老の鑑定で、伊勢外宮日の宮の御神体だとして祀られたと言ふ話も、髯籠・傘鉾の信仰に根ざしあるものと思はれる。
[#ひげこの図(fig18401_01.png)入る]
天幕を使ふ様になつてから、非常に華美を競ひ出して、長さ八間幅一間余の緋羅紗に、大蛇対治《ヲロチタイヂ》の須佐之男命・石橋《シヤクケウ》・予譲・楠公子別れなど、縫模様の立派な物になつた。天幕の裏はすべて墨書きの雲であつた様に思ふ。村と村との間ばかりか、一村の中の町々でも競争する処から、果は※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]の地についた処からだし[#「だし」に傍線]の尖端まで、十七間から十八間位の高さになつて、重さは二千貫、八十人乃至百人の力でなければ、動す事が出来なくなつた。
[#だいがくの図(fig18401_02.png)入る]
だいがく[#「だいがく」に傍線]の名|処《ドコロ》のゑとき[#「ゑとき」に傍線]をして見ると、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
イ だし[#「だし」に傍線]又はほこ[#「ほこ」に傍線]とも言ふ。長さ凡一丈。町々で皆違うた物をつけてゐる。三日月・一本劔《イツポンゲ》ぼこ[#「ぼこ」に傍線]・三本|劔《ゲ》ぼこ[#「ぼこ」に傍線]・薙刀ぼこ[#「ぼこ」に傍線]・千成り瓢箪ぼこ[#「ぼこ」に傍線]・神楽鈴ぼこ[#「ぼこ」に傍線]などで、中でも、新町の薙刀ぼこ[#「ぼこ」に傍線]をつけただいがく[#「だいがく」に傍線]は、常によく活動して居た。西の町は、後に一本劔になつたが、古くは粟穂になるこ[#「なるこ」に傍線]で、なるこ[#「なるこ」に傍線]は鳥居に垂れてゐた処であつた。
ロ ふけちり[#「ふけちり」に傍線] 紋は、巴と木※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《モツクワウ》を裏表につける。但し、東の町は、五色のばれん。
ハ さんじやのたくせん[#「さんじやのたくせん」に傍線]
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