何故、こんな山奥に、こんな舞踊が発達したか。其は決して偶然ではなかつたと考へられる。即、戦国の末に、彼等が勢力を貸した豪族の家々が、其後栄えたからである。歴史の表面では、彼等がどれだけの事をしてゐるか、殆ど記されてゐないが、断篇的の記録はある。三河には徳川氏と関係ある地方に居つた者が多くゐて、徳川氏が栄えて後、擁護を受けたからである。
彼等は、戦争に際しては、其等の家々に勢力を貸したのであつたが、また初春には恒例として、其等の家々、即、檀那の家へ出て来ては、祝福をして行つたのである。ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]としての、昔の記憶を忘れなかつたのである。
由来、日本の戦争には、法力の戦争が栄えた。旗・差し物なども、それから生れたものである。此には長い歴史があるが、其は略する。ともかくも、彼等が戦争に勢力を貸したといふのは、法力で戦争を勝たせるのが主であり、本筋のものだつたのである。
六 にせ山伏しとの結合
ところで、此、初春に里へ出て来る山人といふのは、日本には至るところにあつて、必しも参・遠・信の山奥とは限らない。思はぬ奥山家から、大黒舞・夷舞などが出て来る。彼等は、
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