ものもあつたが、多くは、一時的の臣だつたのである。併し、しよろり[#「しよろり」に傍線]・そろり[#「そろり」に傍線]の語から考へて、此は後の幇間の前駆をなしたもの、と見ることも出来ると思ふ。
日本には、幇間的職分を持つたものは、古くからあつた。王朝時代、貴族に仕へた女房たちの為事と言ふのは、そこの子弟を教育するのが、主なるものとなつてゐたのだが、其教育は、なか/\行き届いたもので、時には、其娘や息子たちの為に、艶書の代筆などをもやつてゐる。此が、後には、男で文筆あるものが替つてやるやうになつた。隠者の文学は、そこから発生した。兼好法師が、師直の為に艶書の代筆をしたといふのは、事実であつたらう。当時では、決して、珍しいことではなかつたのである。
尚、此外に、奴隷から出て、君側に侍つたものがあつた。併し、戦国時代には、すつぱ[#「すつぱ」に傍線]・しよろり[#「しよろり」に傍線]などが侵入して、いつか、此等のものとの間に、歩み寄つた生活をしてゐた。何故、彼等が、其等のものとの間に歩み寄つた生活を為し得たかに就ては、考ふべき点があると思ふ。
一三 異風・乱暴の興味
阿国歌舞妓は、念仏踊りの一変化したもので、幸若舞に系統を持つ、謂はゞ、山三の芸の濃いものであつた。そして、此は初代の阿国の時あつたものではなく、二代の阿国が舞ひ出したのだと思ふ。其訣は、前にも言うた様に、かぶき踊り[#「かぶき踊り」に傍線]は、阿国と、山三の亡霊との間に問答があり、それから「いざやかぶかん」になる。此事実からも考へられると思ふのである。
かぶかん[#「かぶかん」に傍線]とは「あばれよう」と言ふ事である。即、舞ひに狼藉振りを見せたものらしい。後の芝居では、此が六法《ロツパフ》となつて残つてゐる。尚、六法は、前に言うたかぶき者[#「かぶき者」に傍線]の別名ともなり、其一分派には、丹前など言ふものも出来た。共に、あばれ者[#「あばれ者」に傍線]であり、伊達な風をして、市中を練つて歩いたのであつた。「六法はむほふ[#「むほふ」に傍線]とも訓むべし」など言ふやうになつたのは、恐らく、彼等の、さうした行動から出たものであつたらう。
併し、六法は、其以前からもあつた。室町の中期頃に、六法々師と言ふものがあつて、祭礼に練つて歩いた。
京の街では、早くから、祇園祭に異風の行列が流行つた。これのはつ
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